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哲学いろいろ

新約聖書と旧約聖書


あらましを続けます。

 16.★ 聖書はいろいろ派閥があって歪められていると聞きますが、いつからかが判らないので何とも言いにくいですね。
 ☆ 信仰としては ひとつのかたちしかありません。オシへをめぐって――つまりエレミヤ書31:31以降で要らなくなると述べられたオシへをめぐって―― ああだこうだと言っているに過ぎません。つまり 阿呆状態です。

 17.★ ユダヤ教ヤハウェしか認めず、キリスト教は他も認めるってことですね。
 ☆ つまりユダヤイズムは エレミヤ書の預言がまだ成就していないという立ち場です。イエスが成就したとはみとめません。

 17−1. クリスチアニズムは 信仰としては 普遍神の受け容れを基礎としてイエス・キリストの指し示した神の信仰という立ち場です。神学としては 三位一体なる神として説明されるものです。

 17−2. クリスチアニズムとは 実際には 信仰ではなく思考にかかわるオシへの問題を言います。信仰の立ち場から行くと キリスト教というオシへを《信じる》ということはあり得ません。オシへは 考えるものだからです。

 17−3. ローマ教会を初めとする教会やそのオシへは 信仰から派生したものですが 言わば信仰という蝉の抜け殻です。先ほどの神学をも含めて オシへは 信じる神という正解を問い求めるときに人間が引いた補助線のことです。

 18.★ 神の選民がなければ争いは減っていたのではないでしょうか。
 ☆ オシへを信じよというワケの分からないことを言うシュウキョウが いちばんの問題です。

 18−2. 《神の選民》という自称は 表現こそ違え どの宗教・どの宗派でも同じことです。似たりよったりでしょう。普遍神を知らない。かまたは 知っていてもそれをみとめると自己崩壊を起こすとでも感じているのでしょう。阿呆状態から諍いや争いが起きるのは 世の常であるらしい。


 19.★ 他の信仰も認めるなら、神はユダヤ人にも納得できるような方法を用いて説いた方が、いざこざが無くて済んだのかもしれませんね。
 ☆ オシへとしての聖書や教典を――まなぶために――とうとぶこととそれを無条件に受け容れるという意味で信じることとは 別です。ユダヤ人なら それくらいのことは分かると思います。ムスリムの人たちもやがて分かるものと思います。

 20. 《他の信仰をみとめる》というよりは 普遍神はひとつで 名前が民族によって・人によって違う。名前の違いで 信仰の名称も違って来ますが けっきょく《神とわれとの関係》としての信仰のかたちは 同じです。

 ○ 神とわれなる関係としての信仰は すべて《梵我一如》類型で捉えられる 

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論
   無梵:空(シューニャター)・ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
   仏:アミターバ・ブッダ阿弥陀如来
      / マハーワイローチャナ(大日如来
   仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)

  D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

  E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

  F. 《もののあはれを知る》
   霊:かみ(自然および超自然)
   霊:われ(自然本性)

  G. ユダヤイズム:霊霊一如
   霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
   霊:われ

  H. イスラーム:霊霊一如
   霊:アッラーフ(イラーハ=神)
   霊:われ
 

 21. アブラハムの神は モーセには 自分の名称をあかしました。(出エジプト記3:14)

     eHYeH   aser     eHYeH.
     エフイェ アシェル  エフイェ
     I-am    that( who )    I-am.
     《わたしはある》――それが わたしである。

 21−1. この《ある・生きる》なるいわゆる be‐動詞は 子音三つで示すと H-Y-H ですが y が w とも交替します。ですから H-W-H ともなります。
 端折った言い方をすれば――じつは定説が争われているにはいるのですが――次のように解釈する説も出されています。

   √HYH ( HWH ): ある・生きる
   eHYeH : I-am ; わたしはある。
   yaHWeH : He-makes-be ; かれはあらしめる。

 これが 神の名・ヤフヱフです。
 
 21−2. ちなみに アダムとエワのエワは ハワー( HaWWaH )であり《生きるもの》を表わし これがアラビア語では ハヤー( HaYYa )となっています。

 ▼ ( OnlineEtymologyDictionary : Eve )  
 http://www.etymonline.com/index.php?term=Eve&allowed_in_frame=0

 21−3. エホワという呼び名は あやまって文字を読んだ結果が慣用されたものです。ふつうへブル語やアラビア語では 子音しか書かないので あとでそこに母音をつけるときに――つまり YHWHという子音の四文字に母音をつけるときに――あやまって yeHoWaH と読んだところから来ているようです。


 22. その昔 ユダヤ人が王を立てるとき その額に油を塗ったそうです。霊的な改まりとしての禊ぎのようなものでしょうか。この《油塗られた〔者〕》を マッシーアハと呼びました。メシアです。そして この語のギリシャ語訳が クリストスです。

 22−1. ユダヤの民は よその民族に従属しなければならないハメになることが歴史上起こり イエスの頃はローマ帝国に支配されていました。この従属状態から独立を勝ち取るあたらしい王が待望され メシア=キリストは そのような救世主としての意味を持ちました。

 22−2. そこで人びとは イエスをメシアの名でも呼ぶようになりました。ただし イエスはけっきょく十字架上に磔となったわけですから そのような政治上のチカラとしての救世主ではなかった。それでも この名称を用い続けて 今度は神の子としてまた同時に神である存在として キリストという名を用いることとなりました。

 23. ヘブル語とアラビア語とは セム語の家族です。《かみ》という普通名詞は √'LH の三子音から成り次のようです。どちらかが訛っています。

   ヘブル語: ha ’eLoH ( the God;ハー エローホ)
       ha 'eLoHim ( the gods; ハー エローヒーム)

   アラビア語: al 'iLaH ( the God; アル-イラーハ)
         > aliLaH > aLLaH (アッラーフ

 ヘブル語は ふつう複数形を用います。
 定冠詞は 同じだと見なされています。

    定冠詞 hal > へブル: ha (ハー)
          > アラブ: al(アル)

 24. サタンなどにつきましては どうでもよいと考えていますので よくは知りません。もしそうとすれば 普遍神に仕えていると捉えるのが 妥当なのでしょうね。



 Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie