caguirofie

哲学いろいろ

ヨブ

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie

ヨブは 非の打ちどころのない善良な人間であったらしい。

 人間ないし人格についてのそういった規定は あまり〔わたしの見るところ〕面白くありませんが〔なぜなら 信仰は道徳ではないからです〕 このようなすでに歩む過程として完全な姿を見せているヨブは その姿についていづれ試されると思っていたのでしょうね。

 試されるということは すでに得ていた信仰が試されると捉えてもマチガイではないでしょうが 微妙に違った捉え方もあります。

 それは その人の信仰が試されるという場合に じつは まだよわい信仰を持っている人びととの交流が その人あの人とのあいだでそれぞれ展開されるということだと捉えられるからです。

 そして それらよわい信仰の人びとが そのときには むしろ完全をあゆむ人(つまりヨブ)を何かと咎めることの出来る欠点を ヨブは持たされるということ。このあたかも火の中をくぐり抜けるかのような道を通らなければならない。つまり ヨブがです。――こういう試練のことを言っていて それのおとづれをヨブは たしかにおそれていた。のではないでしょうか。


 メッキではなく純金の信仰であるということがほかの人びとにも分かるようになるには ほかの人びとと同じかまたは低く劣った境位に一たんヨブは降りて行かなくてはならない。そういう境遇に降りて行かなくてはならなかった。こういったことに実際に遭遇することを それは 確かにつらいわけですから おそれていた。

 けれども ナゾの何ものかのみこころのままにと言ったか。思ったか。初めからしまいまでヨブは その信仰に堅く立っていたかどうか。