caguirofie

哲学いろいろ

もくじ

はじめに

その一:本日
その二:2006-08-14 - caguirofie060814

漱石英詩註

その一:2006-08-15 - caguirofie060815
その二:2006-08-16 - caguirofie060816
その三:2006-08-17 - caguirofie060817
その四:2006-08-18 - caguirofie060818
その五:2006-08-19 - caguirofie060819

霞霏微

その一:2006-08-20 - caguirofie060820
その二:2006-08-21 - caguirofie060821
その三:2006-08-22 - caguirofie060822
その四:2006-08-23 - caguirofie060823

方法としての人麻呂長歌

その一:2006-08-24 - caguirofie060824
その二:2006-08-25 - caguirofie060825
その三:2006-08-26 - caguirofie060826
その四:2006-08-27 - caguirofie060827
その五:2006-08-28 - caguirofie060828

《シントイスム‐クリスチア二スム》連関について             ――梅原古代学の方法への批判――

その一:2006-08-29 - caguirofie060829
その二:2006-08-30 - caguirofie060830
その三:2006-08-31 - caguirofie060831
その四:2006-09-01 - caguirofie060901
その五:2006-09-02 - caguirofie060902

性・対関係・相聞 1 ――インタスサノヲイスムについて――

その一:2006-09-03 - caguirofie060903
その二:2006-09-04 - caguirofie060904
その三:2006-09-05 - caguirofie060905
その四:2006-09-06 - caguirofie060906

Inter-Susanowoïsme について――性・対関係・相聞 2――

その一:2006-09-07 - caguirofie060907
その二:2006-09-08 - caguirofie060908
その三:2006-09-09 - caguirofie060909
その四:2006-09-10 - caguirofie060910
その五:2006-09-11 - caguirofie060911

われわれはなぜかしこくあらねばならないか

その一:2006-09-12 - caguirofie060912
その二:2006-09-13 - caguirofie060913
その三:2006-09-14 - caguirofie060914
その四:2006-09-15 - caguirofie060915

はじめに

スサノヲ市民という人間存在の中に 《スサノヲ(S)‐アマテラス(A)》の連関があるという持論にかんして ここでは 《やみ(S)‐ひかり(A)》連関として捉えてみたいと思う。方法とは何かについての簡単な議論になるかと思います。
スサノヲは ヨミ(黄泉)の国の王だとは言え スサノヲという語をそのまま《闇》にあてるのは気が引けるので 《ひかり(A:アマテラシテ)》に対して 《やみ(非アマテラシテ;イン‐アマテラシテ in-amatérasité )》として想定します。ただし けっきょく《S‐A》連関というほうが わかりやすい時には この《S:スサノヲ》をも用います。
いづれにせよ スサノヲ Susanowo 市民という人間存在の内に 《ひかり amatérasité 》が いまだ耕されざる自然本性としての《やみ》の中に その中から出てのように あたかもその闇とともに その闇を突き抜けるかのように闇をとおして 見出されうると想定しています。
《ひかり(A)‐やみ(S)》連関は ひとりの人間・スサノヲ自身の中に 総体として見出されるという点が みそですが その基礎に立つなら やしろ(社会)は このスサノヲ市民たちの生活する場であると言ってよいでしょう。さらにこのやしろが 基礎としてのヤシロ(スサノヲ圏)とそして もっぱらのアマテラス公民の住むかに思われるスーパーヤシロ(アマテラス圏)との二階建てになったという捉え方も してきました。国家という社会形態のことです。
やしろの第二階=アマテラス圏=スーパーヤシロは もっぱら光を求め もっぱらその人間の光(一般に 知識)によって自治しようとするいわゆるアマテラス族が 自分たちで築き上げようとした結果であると同時に もう一方の側面としては むしろスサノヲ市民たちが これら《誇り高き》アマテラス族の 自己到来に達するまでは したいようにさせたという所謂《国ゆづり》の考えと実行の結果だとも考えたわけでした。自己還帰というのは 人間の知識の有限性に目覚めよという言い分のようです。知識だけで出世(出世間)するというのは ほんとうの出世間(悟り)ではないという言い分です。
それからは――国家の築かれた以降では―― もっぱらの公民・ひかりのアマテラス族の主導する《A‐S連関体制》のもとに やしろは いとなまれて来たという歴史の見方です。ただ ここでは この社会科学の問題は あつかいません。ひとえに 《やみ(イン‐アマテラシテ)》の問題を取り上げます。スサノヲ自身の中にありうると考えられる《やみ》 また やしろにあたかも必要悪のごとく見られる《やみ》の部分 これは どこから来て どうなっているのか いかに捉えいかにこれに付き合えばよいのか これを扱います。ただし 純然とのごとく詩・歌を主題とすることにし あまり理論づけなどの作業は しません。
そのようないでたちです。


さっそく入りたいと思うのですが 《ひかり‐やみ》連関ということにかんして少しく一つの視点を取り上げておきたいと思います。

はじめに コトバがあった。コトバは カミとともにあった。コトバは カミであった。すべてのものは これによって出来た。できたもののうち 一つとしてこれによらないものはなかった。このコトバに いのちがあった。そしてこのいのちは 人のひかりであった。ひかりは やみの中に輝いている。そして やみはこれに勝たなかった。
ヨハネによる福音書 (聖書の使信 私訳・注釈・説教) 1:1−5)

このような場合の《ひかり》あるいは《ひかり‐やみ》の連関は 次元がちがうと まず思われます。あるいは 基本的に次元が違う領域のことを 人間の次元にあてはめ つまりは やしろの問題として とらえているものだと考えます。
その前提では たしかに 人間存在の内に 《ひかり‐やみ》の混在が捉えられうると見ます。クリスチア二スムの神学においては 議論があるでしょうが いまごく簡略に 《コトバのいのち カミであるコトバのいのちが 人のひかりであり このひかりは 一般に やみのなかに輝いている》と捉えておきます。そしてそれ以上は 論議することを控えます。そうすると 《方法》とは何かとの関連では とにもかくにも まず第一にその命題としてのように やはりこの《ひかり‐やみ》連関という視点が 想定されると思います。けっきょくは どんな人でも――市民の公的な側面においてにせよ 公民の私的な側面においてにせよ 国家の案件についてにせよ 市民どうしの二角協働関係においてにせよ 両性の相聞のうたをどう歌うかにせよ―― そのあり方は その基礎にこの《ひかり‐やみ》連関の動態的な過程が 横たわっていると見られます。
人は そもそも自然本性の人スサノヲとして あたかも闇の中にあって ひかりを見出し ひかりを頼み このひかりによってやみに働きかけ やみをあたかも主導する そういった方法の問題が 過程として・また過程であるしかない視点として もたれていると見ます。いくらひかりのアマテラスだと言っても その権威・権限・権力によって このやみと光との《S‐A》連関動態をなくすことは出来ないことです。つまり どんな光の人たる宗教者が その持てる光によって 《やみ》の部分を消滅させて見せると言っても うえの政治(まつりごと)の力と同じように それは まゆつばものだと見ない人は ほとんどいないはずです。さらに同じくそして逆に 闇の王が 光など幻だと言って 闇の帝国を築こうとしても 世の中は ちゃんちゃらおかしいと言って 相手にしないはずです。
これが 方法についての 第一命題です。


第二の命題に移るまえに もう少し第一命題を吟味しておきます。
但し書きとして まず A‐S連関の構造が ひかり‐やみの連関であるとしても 《スサノヲ(特に私的な市民の側面)が 〈やみ〉である》ということにはならない。スサノヲは やみを持って やみの中に したがって自分自身の内に ひかりを見出して 生きるということ。

  • スサノヲは 一説として ヨミ(黄泉)の国(根のカタス国)の王であるとしても 黄泉あるいは闇そのものではありません。
  • また ヨミの国の王であるとしても おそらく《国譲り》の神話のおしえるところでは このヨミの国は もともと やしろ総体であったものであり ふつうにヤシロ市民社会のことであるはずです。やしろが 第二階=アマテラストゥームを築き上げられ 二階建てになったとき このスーパーヤシロのほうが ひかり輝く社会の本体と見られたかも知れないとはいえ だから 元のヤシロは 昏迷のくにだと見られたかも知れないとしても じっさいには 二階建てとさらに雲の上とを全部あわせた総体が ふつうの社会であるはずです。しかも もっぱらのアマテラス人も どこまで行っても 基本的に スサノヲ市民であり 《ひかり‐やみ》連関の基礎に立つ以外にありえないことです。この点でも 第一命題は 重要です。

理性的・社会的動物であるわれわれは 誰でも一人ひとりが 原形的にA‐S連関構造から成る主体なのであって 過程的にも A-S連関が動態しており しかも自らがこの《理性的・社会的動物》であることを 知解し知っており おそらく自己到来した人びとは この基礎をつねに思って ことに処しているはずです。民主主義(インタスサノヲイスム)とは この自己還帰に互いに信を置き合い もっぱらの公民だけによる共同自治を排し すべての人の叡智に期待する制度であるはずです。
繰り返し述べるならば 一方の《やみ》が 人びとに共通の社会的な土壌であるとするなら 他方の《ひかり》も 広く人びとに共通のしかもおのの主観としての社会力であるとしなければならないということ。このような方法 また方法としての基礎です。
もう一つの例示としては こうです。
共同観念(家主義・ムライスム・ナシオナリスム)の中にあって その中から 共同主観(コモンセンス)を掲げて進むという一つの見方があります。この方式は 《やみの中から ひかりが出て 社会を前進させる》といった考え方として捉えられるかに見えますが そしてその極論の形態としては 共同観念および共同主観のそれぞれを基本的に担ういわゆる社会階級が 作られていて これら階級間の互いの闘争こそが 《ひかり‐やみ》連関の歴史過程だという説に広がりますが やはり一人の人間を ひかりか闇か どちらか一面にのみ縮めて見ていることより 狭い見方だと思われます。方法としてのA-S連関は このようにこそ捉えまた用いていかなければならないと思われます。
ただし ここでは このような議論の場ではなく むしろ この方法の基礎にとどまります。とどまってのように むしろ精神の中で自己のひかりと闇とを見つめ返し その地点で――前向きにだが――滞留し 積極的にその自己の動態を見守って行こうとする場です。自己の内にあっての精神の滞留としては その思惟の行為ではあるのですが 休息であるかも知れません。人がそこで得られるいくつかの視像に憩う時――それを 人麻呂および漱石の作品をめぐってなそうとするのですが―― それは 意志の休息と呼ばれるかも知れません。
わたしたちは この滞留が 停滞に陥らないように 知恵を働かせていきたい。

はじめに(そのニ)

わたしたちは この滞留が 停滞に陥らないように 知恵を働かせていきたい。もっとも 精神は つねに滞留するとは思われる。相手があることなのだから。
この滞留について いま少し触れていきます。

現在して その精神の本性に属しているゆえに 決して忘れ得ないように知られているもの 例えば 私たちが生きていることを知っていること(この知は 精神が滞留しているかぎり滞留している。そして精神は常に滞留するゆえに この知も常に滞留している:原著者註) またそこで神の似像(――われわれにとっては 《方法》としての視像:引用者註――)がより深く凝視されるべきである他の類似のものは たとい常に知られるとはいえ しかも常には思惟されないゆえに 私たちの言葉は私たちの思惟によって語られるとき どのようにこれらについて永遠の言葉(――われわれにとっては 《方法》の永遠性 または 歴史的な真理――)が語られるのか 見出すことは困難である。
アウグスティヌスアウグスティヌス三位一体論 15・15。)

もっともこの一節は 精神および知解の滞留性を語るというよりは 次につづく文章が明かすように 学者としてのもっぱらのアマテラス行為つまり《歴史的な真理の知解作業》が その知解した結果の内容を思っていることとは 別だということを述べるためのものである。知っていることと 思っていることとは 別だと言おうとするものです。知っていても 関心がないとなると かなり事情が違ってくるという問題です。もっと 積極的に言えば 同じアマテラス行為であっても 学者が知解行為をおこなったあと その認識を放っておけば 人びと一般の思惟行為(関心を持ち思っているということ)と それほど違わないということだと思われます。

精神にとって生きるということは持続的なことであり 精神が生きていることを知ることは持続的なことである。しかも 自己の生を思惟し あるいは自己の生の知を思惟することは持続的なことではない。それは 精神は知っていることを中止しないが何か他のことを思惟し始めるとき このことを思惟しなくなるからである。
(承前)

そこで元に戻って 精神あるいは人間の知恵は それ自身の中にそれ自身とともに滞留する そして同じく これが思惟は つまりこれを思惟して表現しようとすることは むしろ意志(また愛)の休息であるとなる。このように考えられます。


そこでこうなる。《ひかり‐やみ》連関のひかり(アマテラシテ)を除いて どうして《スサノヲイスム》が やみの中から出て やみを導く主観共同性を担うことができるか この問いを持つと。これは その成否はいま別にして 仮説的な結論としての《ひかり‐やみ》連関という方法の 第二命題として展開されるべき事柄に属すであろうと。 もっとも これは 第一命題の延長線上に 次のように考えられる事柄ではあります。
われわれはここで 決して ブッディスム風に 《無明即菩提》であるとか 《生死即涅槃》であるとか あるいは《凡夫の中に凡夫のままで成道する姿がある》とかといった《やみ‐ひかり》連関を言うのではない。そのようには言いたくありません。そうではなくて 《知恵ある者を責めよ》(箴言9:8 旧約聖書〈12〉ヨブ記 箴言)と言うようにして 《もっぱらのアマテラス者である知者》は 観念の出世間(解脱)主体であると つまり観念的なひかりなのだと主張することに意図はあります。
言いかえれば アマテラス者は その専業のアマテラス行為とともに 同じく《やみ》つまり共同の停滞的な観念のなかにあるのだと 明らかにしたいという魂胆です。これに尽きます。そして これは つまりこのように認識することは 共同主観なのであって スサノヲイスムこそが よく保って 人間の知恵に到達する道であるともいうべきだと考えた次第です。
単純に 上のように指摘して 次の命題に移ります。

方法の第三命題 またその問題とは なにか。それは 一言で言って スサノヲイスムの弱さです。
《やみ》なる部分をかかえるスサノヲは 弱い。その中から もっぱらのアマテラス者として出脱するスサノヲも 弱い。また逆に これらのスサノヲは 互いに両圏をあいたずさえつつ形作って 共同観念として 強い。スサノヲ個人主義は 集団A‐S連関としてなら 強い。しかし 共同主観スサノヲイスムは 弱い。方法は それじたい 弱い。強くない場合に 強くないところ(社会の周縁などと捉えられる)でこそ スサノヲイスムが ヨミがえるように 現われ出てくるのだから もともと 弱い。このことが 第三命題です。
しかも スサノヲイスムは 《スサノヲ》の思想であって スサノヲ一般が 反面で 形成する共同観念の地に立ち それをも貴びそれに遵(したが)い それゆえに 《原形的なS‐A連関主体》として 社会のA圏‐S圏連関形態の中にのみ生きていく《ひかりとやみ》の行為者である以外にない。しかし この問題は 第三命題として 次のように展開されるはずです。
スサノオイストの高さは 共同観念の動くのを俟ちつつ それに働きかけていく そしてそれ以外にないという立ち場に自己を追い詰めるようにというのではなく そのように 高さを誇るのではなく その固有の弱さ この弱さにおいて誇るべきである このことでなければならないでしょう。これです。

もし誇らねばならないのなら わたしは自分の弱さを誇ろう。
パウロコリント人への手紙第2 (ティンデル聖書注解) 11:30)

という――そのように人びとが話し合っている――社会の到来であるとなるでしょう。
したがって こうであるなら 方法の第四命題とは 次の点にあるはずです。
前の命題から 必然的に 《共同観念の動くのを俟つという弱さ この弱さを その高さにおいて誇るのではなく 弱さじたいにおいて〔滞留するかのごとくして〕 誇る》というとき われわれは どんな視像(イメージ)を見ているであろうか。これがそうです。
われわれは 何を どの視像を 身祀ろうとしているのか。《つねに聖顔を求めよ》(旧約聖書 詩編 105:4)と言われるその共同主観とは いったいどのような視像なのか。
これについては いま問いかけるように 次のように述べます。
これが 《原形的なS‐A連関主体》つまり《自己》を思うときのそのわれわれの 我がすがたと言うべきでしょうか。われわれのこの姿の奥なる場( niwa )に 《人のひかりであった コトバのいのち カミなるコトバ》が 宿るというものなのだろうか。《カミの弱さは 人の強さよりも強い》(コリント人への手紙第1 (ティンデル聖書注解) 1:25)というそのカミの弱さを そこにおいて 分有すべく われわれの弱さを誇るべきというものなのだろうか。
おそらく ここからは もしこう思惟するならばこの地点からは うたが生まれるはずです。うたが生まれてくるでしょう。うたとは 観念の資本であり あの視像のうたいであり わが共同主観に対する人間の言葉への到達 言いかえれば 人間の知恵の新しい時代への組み替え・書き替えであって 理性的・社会的動物の 言葉における衣替えにほかならないと考えます。
わたしたちが 《栄光から栄光へ( 'απο δοξησ εισ δοξαν ―― つまり共同主観から共同主観へ―― 変えられる》(コリント人への手紙第2 (ティンデル聖書注解) 3:18)その瞬間なのであるだろうか。一つの共同主観つまり 近代市民が キャピタリスムもしくはデモクラシという主観共同によって ナシオナリスムなる共同観念を率いて打ち立てた栄光(人間の知恵のひかりによる共同自治の一様式)から 新しいいま一つの栄光としての共同主観へ われわれが変えられるそのときのうたなのであろうか。
ここで スサノヲイストのうたとして その例を われわれは 柿本人麻呂なる歌人に見てみたい。

人麻呂のうたについての序論

人麻呂は 一般にも 歌聖などとして尊ばれているが ここでは 前古代市民的な栄光から 古代市民的な時代への新しい共同主観を 歌によって表わしていったスサノヲ市民であったと捉えている。アマテラシテなる光を浴びてうたったと考える。これを取り上げよう。
さて 万葉集に拠れば 古代市民的な共同自治の様式の確立は 近江朝・天智天皇の時代から飛鳥浄御原・天武朝への移行によってなされたと考えられたと捉えられます。これを 春から夏への移行ととらえて 

春過ぎて 夏来たるらし
白栲の衣乾したり
天の香具山
持統天皇 万葉集 全訳注原文付(一) (講談社文庫) 巻一・28番)

とうたわれた歌によって締めくくられたとやはり考えられる。このあとに 長歌一首(29番)・反歌二首(30・31)から成るいわゆる近江荒都歌と称ばれる人麻呂の歌が 編まれ 28番の歌を註解するかたちになります。このあたりから 議論に入っていきましょう。
さて《玉だすき 畝火の山の 橿原の 日知りの御代ゆ 生れましし 神のことごと・・・》(29)という長歌は措いて 反歌二首を見てみれば。

30番 ささなみの志賀の辛崎 幸(さき)くあれど 大宮人の船待ちかねつ
楽浪之思賀乃辛崎 雖幸有 大宮人之 船麻知兼津
31番 ささなみの志賀の大わだ淀むとも 昔の人にまたも逢はめやも
左散難弥乃 志我能 大和太 与杼六友 昔人二 亦母相目八毛

そこで 30番の歌では 原文表記から言って 梅原猛によれば 一方で 《〔思〕賀 / 幸》〔および 《からさき》は 《辛》が 字形によって 《崎(碕)》が 音によって それぞれ――だから もちろん遊びとしてであるが―― 《幸》に通じさせていると考えられる〕という寿の意が込められ 他方で 《〔楽〕浪 / 碕 / 船 / 津 》によって 海または船の航行のイメージがうたわれたとされます。(梅原猛著作集〈13〉万葉を考える (1982年) 等。以下同じで 特に出典をあげません)。いまただちに 次の31番に移るなら ある意味で前歌から一転して やはり梅原に拠れば 《ささなみ:左散難弥》の原文表記によって いわゆる近江朝(大友皇子)と大海人皇子との対立または 六七二年(壬申)の乱を想起させている――《左に散って 難 弥よ弥よ》――と考えられる。
この推理を推し進めれば 《志賀の大わだ:志我能 大和太》は やはり古代市民的な社会形態の形成 殊にヤマトなる国家の確立を通した共同自治の一様式の成立をうたい堅持するかのようである。同じ梅原によれば 後半の三句の中に 《与・・・六・・・二・・・相・・・八》と表記されることによって 《六と二とあわせて八》といった同じく遊びがうかがわれると言います。さらに同じくこの推理を推し進めれば 《六》は 天武の《む》を 《二》は 天智の《じ》をそれぞれ表わし 合わせて《八重垣――これは ヤシロのかたちであり 〈八〉は 古代日本人の社会では 一つの聖数である――》をかたちづくると言おうとするかのごとくです。いまこの点を措いても そこでこれら二首の歌の全体で 次のような視点が受け止められると考えます。
すなわち 前古代市民的な共同自治の様式としての 前インタムライスムと言えるのだが単なるムライスム 言いかえると やみを耕すアマテラシテなる光の文化が未だ待たれる段階のムラ=イエ(家)イストないしイエ=ムライストのもとの自然史的なS‐A連関様式から アマアガリする移行の過程がかいま見られます。素朴なインタムライスムを 一気にナシオナルな次元に揚げて アマテラス圏(スーパーヤシロ)と一般市民スサノヲ圏(ヤシロ)との連関から成るイエ・ナシオナルとしての社会形態をかたちづくっていったという。このような歴史的な変遷を その最終段階として 天智朝から天武朝への移行において 殊に天武アマテラス体制の確立において 見ようとする視点がうかがわれると捉えたいと思うのです。
天武朝の観点に立つならば 近江朝のアマテラス体制の継承と再編成の過程において 前古代市民的の栄光から 新しい古代市民の共同主観へ 歴史がそして市民の一人ひとりが 変えられたと明確に主観共同しようという姿勢がうかがわれるという見方です。もとより この共同主観から共同主観への移行は 社会形態として A圏‐S圏連関体制なる国家( ihé national )の確立の過程を物語っており いまのわれわれの課題は むしろこのA‐S連関体制じたいの継承と再編成とにあると言わねばならないのですが また この人麻呂のうたの例は むしろヘーゲルのミネルヴァのふくろうよろしく いわば或る種の仕方で事後的な歌の表現の例であるのですが ともあれ うたの生じる段階と契機としては 栄光から栄光への 人間の知恵の或る種の回転( révolution )を表わすと捉えなければならないように考えられます。そして われわれは このうたに表わされるべき人間の知恵を 広く 観念の資本と呼んで(あるいは うたの構造 またはやはり 共同主観として)捉えようという問題だと考えます。これが 一個のスサノヲイストのうたの一例ということになります。

それでは 新しい命題は?

それでは次に 第六命題は 何であるとなるか。おそらく ここからは すでにわれわれ一人ひとりの多様性(これを 万葉という)が生まれることでなければならない。共同の主観が 新しい一つのものとして――いまだ密教的なかたちでにしろ――築かれたとするなら 主観の多様なるもとでの共同性 その社会および時代ということでなければならないでしょう。
この意味で 現代市民のわれわれの課題は 新しい万葉集の生成と形成へと導かれていくかも知れないし 行かねばならないかも知れません。もしそうなら これを別の意味のルネサンスと呼ぶかどうかは知らないのですが――なぜなら 新しい時代の内容は 必ずしもいまだ想像しかねる そして それは われわれが未来時に対するとき うたの対象である質料(もの・世界)の科学的な見通しはこれを措くとしても うたの内容じたい・その全体としてのあり方としては 本質的に 想像が不可能である(《わたしたちが どうなるのか まだ明らかではない》(ヨハネによる第一の手紙 3:2) したがって―― この第六命題を把捉することは われわれには いま許されていないと言うべきかもわかりません。
だからむしろ 社会形態の再編成の作業 このようなかたちでの具体的な議論は これをなしうるとは言わなければならない。なしていくべきかとも思われます。ただしここでは 控えるということでした。

さらに 第七命題

もしそうであるなら次に 真の意味で 精神またはうたの滞留に甘んじ いやむしろそれを享受すべきだという主張にふたたび傾くことになりますが したがって われわれの方法の第七命題は 次の点であるとなるようです。
スサノヲイストとは何か これです。
スサノヲイスムの主体 その現代‐未来市民としての歴史主体たるスサノヲイストとは 何か これです。また この問いによって おそらく はじめの《ひかり‐やみ》連関ないし《原形的なS‐A連関》主体の問題 それに還ることにもなろうかと。これを うた Uta のないようとして 現在 考察しうるかぎりで 明らかにしてそれを豊かなものにしていくべきである。こう思われます。
(ここで あらかじめ断り書きとなりますが ここでは いまの序論でのこころざしの如くには 人麻呂のうたの分析をつうじて その求めるべき内容が 捉えられたというまでには到りませんでした。古代市民社会の興隆としての 新しい共同主観の発現に際して その兆しが捉えられればよしとすべき程度ではありました。)
この命題は 社会の第一次領域すなわちヤシロの圏におけるスサノヲどうしの関係の問題――両性の対の関係および一般に生産行為の協働二角関係の問題――に帰着して 考察をふたたび始めていくべき課題を含むものと思われます。また うたとは そもそも そこにしか――その課題にかかわってしか――持たれないとも考えられる。
たとえば 単純な例を 先ほどの例歌に取り出してみるなら。社会形態の全体にひろがった課題である場合にも うたは 《六友――天武は友》《昔人――天智は昔の人》《亦母相目八毛――前古代市民社会は 古代市民社会の母体であり またそのいわゆる母斑を同じく継承して身につけているという如く ただし もはや母斑でしかないかも知れないが 原型的なインタムライスムを ナシオナリスムは 継承しよう》等々というように そもそも 〔うたは〕 対(つい)の関係・二角関係の用語・概念(《友・昔人・母など》)で表現されるとき その主観の共同性・普遍性が 容易に理解されるというような事情にあると見られます。
またここで 余談を交えるとすれば ナシオナリスト〔=キャピタリスト〕としての現代市民は むしろ現代‐未来市民的なインタムライストへと還りながら その新たなかたちを受け継いでいくであろうと推測されるかも知れません。つまり この点は 人麻呂のときと動きと流れの方向が 逆になります。国家というヤシロの形態への上昇過程と 逆に そこからの下降の方向が 望まれているかも知れないという場合には。
生産態勢(企業社会)における協働二角関係については これを措きます。
そこで 社会一般または自治態勢(都市・ムラ)における市民対(つい)関係の形式の問題 言いかえると 平俗に言って 口説きの方法 もしくは一般に相聞のうたの内容について ここでは考察を進めるという結果となります。うたが そういう種類のものが 多いということです。協働二角関係つまり一般の人間関係は およそ男女の対関係において おおむね本質的によく その形式(イデア)が表わされると思われます。
すなわち ここでは――《はじめに》という序論の場で――古代市民の時代のインタスサノヲイストであったと考えられる柿本人麻呂の相聞歌を 万葉集に即して取り上げておきたいと思います。
(つづく→:2006-08-14 - caguirofie060814)