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哲学いろいろ

神道(ジンドウ)と神道(しんとう)

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie

マーク・テーウェン(Mark TEEUWEN):神道(ジンドウ)から神道(しんとう)へ――ある概念の形成――

http://21coe.kokugakuin.ac.jp/articlesintranslation/pdf/Teeuwen-ver11.pdf
p.1( 要旨)原初における清浄や天皇霊性といった神道の中心的な問題
――これは ウソである。原初に天皇はありえない。

神道」は
「異なる時代において様々に試みられたところの、カミにまつわる信仰と実践とを統一しておくための集合的な用語」として用いられるべきであると主張したい。


神社、あるいはカミが、
風景の中にとけ込んで神学的な思索や儀礼行為の実体を持つ焦点となってきたのとは対照的に、神道はそのような思索の結果としてのみ、すなわち混沌たる現実に何らか一貫性を持つ形態を強いる試みとしてのみ「実在」してきた。(p.1 )

こんなふうに《概念》化された内容としてシントウを言いたいのなら それに対しては 概念化される前の人びとの生活のなかにおける原始心性としてのでもの信仰があった。と言えばよいし 言わなければならない。
 それを《神道》とは言って欲しくないと言うのならば 《かむながらのみち》とでも言えばよい。
 《概念化》されたものだけを扱うという態度は いただけない。

神社、あるいはカミが、風景の中にとけ込んで神学的な思索や儀礼行為の実体を持つ焦点となってきたのとは対照的に、神道はそのような思索の結果としてのみ、すなわち混沌たる現実に何らか一貫性を持つ形態を強いる試みとしてのみ「実在」してきた。

概念化したものが《実体》であり そのような《実体を持つための焦点となってきた》生活実態は 《風景の中にとけ込んで》いるから扱わなくてよい などと誰が考えるのであろう。
 
それでも

神道という現象とその起源をより豊かに捉えることを期す(p.1)

と言っている。
これは 煮詰めて行って何が最後に残るかと言えば 《公民によって≒為政者の権威によって 成り立っている》という事態なのだと考えられる。お二階さん目線が この著者のすべてであるとさえ見られる。

 これは・つまり《概念化》とは 基礎としての・一次的で日常的な生活における個人の信仰と それの宗教化との区別を言っている。あんがい単純である。

 こちらの態度は 宗教化したあとのことは むろん歴史学の対象でありそれとして研究されて行くのであるが 宗教化したところのものは それとして 基礎としての信仰に対しては 二次的な人工物であるとはっきりさせておくことができる。そして むしろそのように大前提を明らかにしておくことのほうが 二次的宗教の内実をことこまかに研究するよりは 大事である。宗教の内部分析は ややもすると茶の木畠に入って行ってしまう。何を明らかにしようとしているのかが分からなくなってしまう。

様々な社会的文脈においてカミ崇拝が重要なものとしてあったことを、決して否定するものではない(p.19)

1. 伊勢の天照、すなわち本覚のカミ。このカミは「本来清浄理性常住不変妙体」であり、「本覚
本初之元神」である。
2. 出雲のカミのように悟りを持たないカミ。これらのカミは、三宝を目にしたり、仏の梵音を
聞いたりしても、正気に戻ることはなく、それ故永遠に四悪界にある。
3. 石清水や広瀬のカミのように始覚のカミ。これらは仏の教えのおかげで、幾多の転生の後に
迷妄から覚め、その本覚へと立ち戻ったものであるが、第一の類型のものとは区別されるべ
きである。(p。13)

これは アマテラス派が スサノヲ・イヅモ派に甘えている。イヅモないし三輪オホモノヌシにくにゆづりをしてもらって その上をアマガケリしたことをいいことに いつまでも踏み台として利用している。そういうアマエである。

 《いつまでもサトリを持たない者》がいれば 神棚にアマアガリした自分たちの身分は ともかくは安泰であると踏んでいる。そういういつまでもサトリを得得ないやからが アマテラス族である。

 王と臣 主と奴という関係を変わらざるものとして その関係の中に入って相手に対して甘えている。

十五世紀における吉田兼倶による神道の再発明は、神道を――そして神道を通して神社を――天皇による統治の下に置くことを改めて主張していくことへとむけた最初の一歩であった。(p.18)

こうは 見ません。すでに古代国家が出来上がったときに アマテラス統治‐スサノヲ市民従属なる連関制は成り立った。でなければ 税金を払い 各地の特産物を納め 用役に駆り出されることはあり得なかった。

 言いかえると 各地のムラのまつりは ムラ人の集まって神々に初穂を供え あとはどんちゃん騒ぎをして感謝をささげつつハレの日を送るマツリであった。ところ これらのマツリを十把一絡げにして 中央のお二階の神棚からたばね寄せるというマツリゴトがすでに始まっているからである。

 これは すでにアマテラスイズムとしてのシントウイズムである。ムラムラのマツリが ふつうの自然のシントウである。

このムラムラのマツリが すでにシントウであり そう呼ぶナラワシはまだなかったとしても その生活としての実態が 上からたばねられ人びとは マツリのときの収穫をまづは先にお二階のアマテラス公民らに貢ぐことを余儀なくされた。ここに 《 A - S 》の逆立ちした連関制はすでになった。これが くにゆづりによって出来上がった古代国家である。

カミ崇拝は、神祇制度の内側と外側において、そして神社と寺院において、また神道
的なものとそれ以外の文脈の両面において行われていたのであった。(p.19 )

神祇制度の内側とは 二階の公民圏のこと。外側とは 一階のムラムラの生活。
神社と寺院とは せめぎ合いもあったろうが ムラの次元では 妥協のごとくにでも だいたい折り合いをつけていたのではないか。争っても仕方がないと見られていたとしか考えられない。
あとは お二階の公民たちが どのように制度として・また神学・仏道なる観念体系として扱い整理するか。こういう些末な問題であるに過ぎない。二階建ての構造は つねにゆるぎなく成り立っていた。