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哲学いろいろ

神道(ジンドウ)と神道(しんとう)

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie

マーク・テーウェン:神道(ジンドウ)と神道(しんとう)の成立についての比較考察

  http://ir.library.tohoku.ac.jp/re/bitstream/10097/49317/1/teeuwen-2010-Tour01-120.pdf

p.5 シントウは仏教の領域において成立した。

p。6 律令体制とともに その体制のもとに シントウが成立。
つまりそれは 国家という二階建て構造の《家》が建てられたその社会体制の一環として成った。と言いたいらしい。それはそれで 歴史事実である。

p。12 神祇:天皇体制における神々。この制度は 弱まった。
  神道(じんどう):仏教を主とする見方におさまるものとして。本地垂迹説である。

 神祇祭祀が弱まり 神道(じんどう)祭祀が――つまりは 仏教による鎮護国家なる体制のもとに――おこなわれるようになるにつれ けれどもなおもシントウが 独自の位置を得ようとしてウゴキを現わした。

 仏教は ブッダターを提示したのみ。アートマンのことだが 日本ではその土壌はなかったのだから ブッダターということになる。

 ブディズムは 二階の人間から受容され始まった。これが 一階の市民たちの生活日常の思想として・また信仰として作り直された。
 シントウ――かむながらの道――は むろん 二階などがなかった社会において人びとの生活の中に信仰としても息づいていた。それが お二階さんの支配し管理するところとなる。やがては 国家神道というふうな お二階さん用のオシエと宗教とが生まれた。これを一階の人びとにも強制した。


 オホモノヌシ=ヒトコトヌシなるシントウの神から アマテラスへと主宰神が代わった。つまり お二階さんのシントウイズムが現われた。テーヱンは このアマテラス主宰のシントウイズム以後のことを論じている。だから ことさら〔であると思われるように〕 ブディズムとの対比を問題とする。
 伊勢の土着の人びとの神の宮は アマテラスに取って代わられたので 外宮となってしまった。(これは トヨウケ=穀物神)。あとから来たアマテラスの宮が 内宮となった。

 崇神ミマキイリヒコは むろんオホモノヌシの神をいだくシントウである。この三輪山のオホモノヌシに のちに――おそらく河内ワケ政権の系譜によって―― アマテラスが取って代わった。
 生活シントウは ブディズムなどは目ではない。ただ ブッダターという心のきよらかさなる霊のことは受け容れた。それと 鎌倉仏教のように 市民次元の仏教のあり方を模索したとも言える。そこから得たものは 親鸞の《信の構造》論だけでじゅうぶんであった。


 《スサノヲ市民‐アマテラス公民/ アマラシテ象徴》 なる連関制

 密教顕教の内なる本質であると見なされたとしたら 先に祀られていたトヨウケの神に対して その内なる本質が アマテラスなる神だと見なされて行った。
 それは アマテラス公民が アマテラス人格語においてもアマテラス科学語においても抜きん出てすぐれていると見なされただけではなく その内の真髄とも言える象徴アマテラシテはつまり天皇は ブディズムの理論から《法身》であると見なされるまでに到った。(度会神道)。

 ブディズムは 始覚として修行を始めるのによいとし アマテラスティック・シントウイズムは すでに本覚を示すと見なされた。秘されたさとりの本体であると。

 これは アマテラス普遍語が持つおほやけ=つまり公共性が その一編の妥当性とそして普及とにチカラあったと思われる。アマテラス普遍語をさらに抽象化したアマテラシテなる《もの自体》は よけいに公共性や普遍性を帯びる。

 ミャンマーのナッ祭祀が シントウイズムの成立を類型的に例証しているという議論は よく分からなかった。
 公共性や普遍性の問題であるとすれば わざわざほかの国の・土着の信仰でありつつしかも――ブディズムの理論補助によっての――普遍性の付与をも得た半信仰かつ半宗教(つまり ナッ祭祀)の事例を持ち出さなくてもよいように思われる。