caguirofie

哲学いろいろ

アマテラシテ

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie

Q:これは正義ですか?

天皇制を解体し、皇居を売却して震災の支援に当てる。

僕は正義の行動だと考えますが、違うと考える人は
その理由をお願いします。

A:正義を 人が人らしく互いに共生することと定義すれば そのご提案は 正義です。


 1. 主権在民のその市民らが 主権を行使する前に すでに国家のなかった縄文時代なる昔からの《わたし》および《わたしたちの世の中》としての社会生活を土台とするということ。
 
 2. そうすれば おのづからこの社会にとっての特別なシルシは なんら要りません。

 3. 象徴は 余計なものです。
 
 4. ぎゃくに言えば 象徴をいだかなければ 社会生活の秩序あるいとなみが出来ないというのでは ひとつに人間を半人前として扱っていることでしょうし ひとつに人びと一般はそのような扱いを受けてだらしないということになります。

 5. それもこれも いわゆるアマテラス族が――と言ってもアマテラスその人は 市民スサノヲの実の姉なのですが―― スサノヲ=オホクニシのくにに対しておれたちの領土だ おれたちに服属せよと言ってくるようなへそ曲がりの考えを起こしたときから このアマテラシテ( amatérasité / amaterasity / Amaterasität / amaterasutaa =象徴)の問題が始まりました。

 6. すなわち スサノヲ=オホクニヌシのイヅモの人びとは アマテラス帝国に対して 《くにゆづり》をした。それだけ おまえさんたちは 学力優秀・品行方正で 社会の経営について能力もあれば意欲も旺盛であるなら わかった すべて任すから いっぺんやってみなさいと。

 7. たぶん千五百年くらい前のことでしょう。継体ヲホドの登場を充てています。

 8. その前にも国家すなわち 社会の二階建て構造へ向かう動きはありました。

 9. ただし 《初国知らすすめらみこと》と呼ばれ呪術社会から抜け出したかたちで国づくりを最初におこなった崇神ミマキイリヒコイニヱの社会では イリヒコは概念として公民アマテラスですが 市民スサノヲの代表としてのオホタタネコとともに 一致協力してくにを運営しました。

 10. すなわち 三百年ごろのヤマト・ミワのくには 平屋建ての社会であり そこに市長として公民アマテラスなるミマキイリヒコがいたに過ぎない。

 11. 百年経って 西暦400年頃 神功オキナガタラシヒメおよびその子の応神ホムダワケが どこからかやって来ました。ヤマト・ミワと話をつけたようです。自分たちは まじめで優秀な人間である 仲良くやって行きたいと言い けっきょくいわゆる政略結婚にまでこぎつけました。カフチ(河内)に勢力を持ちました。

 12. ところがこのカフチ政権は ただの公民アマテラスではなく スーパーアマテラスでした。

 13. 人は 世界の何にでも寄り憑く《ヨリ》の原始心性から解放され世界の内に入るという《イリ》の歴史知性を開発した。そのイリ歴史知性にもとづき 市民スサノヲは 公民アマテラスという社会的な役割を考え出した。

 14. まではよかった。ところが ここに イリもヨリも知性も心性もみんな 社会的に束ね寄せるのだという《ヨセ》なる知性が出来上がってしまった。これが スーパーアマテラスだった。

 15. イリに代わってヨセを掲げるワケないしタラシなる超歴史知性によるカフチ政権は 百年の計を立て 全国制覇を心に誓い目指します。

 16. 百年後の西暦500年頃 継体ヲホドを立ててその動きを示しました。ここで 《くにゆづり》が起きたのでした。

 17. ですから 古来の神の道にもとづく物部氏を消し去って とうとうスーパーアマテラスとして最高権力の座にのぼったウマヤドの何とかという仏教を奉じる聖徳太子は 《和を以って貴しと為せ さからうこと無きをむねとせよ》とお触れを出します。

 18. これは おれたちの支配による和を貴しとせよという意味であり おれたちにはさからうなと言い けっきょく 権力はにぎった 文句あっかとほくそえんでいる仏教徒であります。

 (天武オホシアマのとき むしろスサノヲ市民を大事にしようという動きもあったようですが その結果はぎゃくに中央集権制が アマテラス体制として確立してしまった)。

 19. この千五百年 おおむね――と言う意味は 社会形態の枠組みとしてということですが―― この《A(アマテラス公民)主導‐S(スサノヲ市民)従属》なる連関体制で わがくには来ました。
 
 20. このあいだ 《スサノヲ市民=主権者‐〈アマテラシテ=象徴およびアマテラス公民=公僕〉》なる連関制があたらしく築かれました。

 21. あとは 確かに世界の人びととの関係・まじわりの問題になります。ほかの人びとは まだまだ《 A - S 連関》なる二階建ての国家という社会を旗印としてさえ 生活していますから。

 22. おそらく市民スサノヲから単独分立してアマアガリを果たしたところの公民アマテラスによる主導体制は もう持たないでしょう。そして 超歴史知性と言うべき《ヨセ》なる人間観 これも消え去りましょう。

 23. このヨセ体制としての天皇制には いいところは皆無です。

 24. よって 《正義》と言うかどうかは分かりませんが 人びとの間から二階建て体制のあらたな形態への移行を展望し議論する声が起こることは 基本的にただしい。こう考えます。

 25. (21)の国際関係のもんだいは けっきょくわが日本社会と日本人が 世界に先駆けるということを展望します。

 質問は 《提案が正義とは違うと考える人》にその理由をたずねるものですが 寄せられたその理由をいくつか読むと カッカとして来ます。ので さらに投稿します。

 26. いまただちに出来るわけがないのを承知で質問はなされている。

 27. 天皇制は 歴史的にまた現在の世界の中で 《特異なもの》ではなく《独自のもの》でもありません。

 28. 国家としての社会形態は 一般に二階建ての構造から成ります。

     一階・・・・・・・・・・・・・二階
     __________________________
     スサノヲ市民(主権)‐アマテラス公民(市民政府)
                およびアマテラシテ(象徴・国王・大統領)

 29. 大統領が アマテラシテを兼ねつつアマテラス市民政府を主宰する場合もあります。アマテラシテは いわば国王に匹敵するのですから 《象徴》制は 独自でも特異でも何でもありません。キム家三代の統治によるという《国家の独自性》があれば よいと言うのでしょうか。

 30. 明治維新に際して 草莽の志士たるスサノヲ市民らは 天皇を活用しようとしました。たぶんアマテラシテとしての活用の仕方が見えたので さらにその昔からの中央集権制と合致すると考えたのでしょう。
 
 31. 日本国民は 租庸調の税金を否応なしにおさめねばならなかったたときから すでに成っています。まぁ 全国に鉄道を敷くには 版籍奉還したほうが便利だったのでしょう。

 32. たしか立憲君主制憲法を持ったのは トルコのほうが先だったはず。

 33. 《公》という概念は 市民のネコ(根子――大地の子)に対して そこから知性の光にたとえて公民としてのヒコ(日子――お日様の子:彦)・ヒメ(日女:姫)なる概念を考え出したときから始まっています。

 34. スサノヲ市民のオホタタ≫ネコ≪とアマテラス公民のミマキイリ≫ヒコ≪イニヱとです。沖縄では ネヒト(根人:ニーッチュ)・ネカミ(根神:ニーガン)という呼び名のムラの音頭取りをになう役もありますが。

 35. 体育大会やスポーツの振興が アマテラシテのもとででなければ出来ないというのは どんなもんでしょう?

 36. 軍隊を持つにひとしいというのは ひとえに国民の実践部隊としての兵士が いのちを賭して家族を守るという心がつよかったからです。えらいさんの誰がどこが えらかったのか? もう終結に向けて話をすすめてもよいものを あたら惜しむべくもないたからを失ってしまった。

 37. 戦前 大日本国憲法のもとでは アマテラス公民は アマテラシテ天皇の臣であり私僕でした。汚職が少なかったとしたら ただそれだけのことでしょう。

 38. シントウは もともとスサノヲ市民つまり根子たちのマツリの問題です。それが 国の家という二階建て構造につれて同じく二階建てとなったに過ぎません。つまり《 S (各地のマツリ)‐ A (ヨセによるマツリゴト)》なる連関制です。マツリは なくなりません。いわばメタ・マツリとしてのマツリゴトは要らないから 消える。それだけのことです。

 39. 大企業ないし経済活動のことは アマテラスお二階さんと組むだけではなく スサノヲ市民のムラムラとそれぞれ相いたずさえて安定成長をめざすべきでしょう。ムラ(市町村)とムラどうしも 連携していくことでしょう。

 40. たしかにこのアマテラスお二階さんは――もともと くにゆづりを受けて経営をまかされたのですから 立ち行かなくなったなら―― すみやかに・かつ〔国際関係をも考慮して〕頃合いを見はからって スサノヲ市民圏のムラムラに《大政奉還》するのが 筋でしょう。