アマテラスお二階さんは 一階に大政奉還すべし
1. 感性と理性を伴なった或る知性が 或る日或るとき こころのいと高きところに純粋存在なるまぼろしを見た。
2. その知性のなかで イリなる歴史知性すなわち 《世界〔内存在〕への入りをおこなう知性人》 この種の人は このまぼろしをそのままなぞとして心にしまっておいた。
3. しかるに ヨセなる超歴史知性すなわち 《世界を押しなべてその知性によって束ね寄せるスーパー知性人》 この種の人は じつは まぼろしに取り憑いた。
☆ ヨセなるスーパー歴史知性は 遊牧民の思想≒生活態度やその様式から出て来たものではないかと考えられます。
cf. 【Q:紀元前の古い時代です。 遊牧民族が天(skyでなく)を発見し、農耕民族が神を、と思いますが、どうでし】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12974718.html
3-1. そこで その輝く光に身も心もつき従うとの誓いを立てた。いよいよその《いと高きところなる存在》に似てきたと思われたとき――きわめて人間的な人間になったとき―― 周りを見てみれば このまぼろしには誰も 関心がない。それは 程度問題なのだと澄ました顔をしている。
3-2. ヨセ人は ここであきらめなかった。このまぼろしによって人びとを感化し 世の中を寄せて束ねる。そうしてみせる。そうすれば《いと高き存在》の光はあまねく行きわたり 世はますます常世(とこよ)の国として栄えるであろう。と踏んだ。
4. このアマテラス種族でもあるヨセなる超歴史知性が 世の中のあり方として平屋建てを嫌い その上に第二階を築きたいと言って 一般のスサノヲ市民らに冀ったとき ――スサノヲらはとうとう根競べに負けて――《くにゆづり》をした。
4-1. ふつうのイリ歴史知性のスサノヲ市民らがムラムラでおこなう《まつり》は ことごとく第二階によって束ねられ おまけに税を取られ 全体としてその統治が《まつりごと》としておこなわれるようになった。
4-2. かくて 《アマテラス(A)‐ スサノヲ(S)》連関制の完成である。
くにのいへと言う。家というからには 構造があり 二階建てである。
5. 《ひかり あるいは まぼろし》は どうなったか?
5-1. 《ひかり ないし まぼろし》と現実とのあいだに隔たりがあるとすれば 人びとの発言にも・つまりそれぞれの自己表現である誰の発言にも 本音と建前とがある。理性的なものは 現実的だが 理論と実践のあいだには 乖離がある。
5-2. あるいはさらに 二枚舌の問題がある。社会で分業する多くの人びとのあいだで利害の一致がむつかしいとなればその限りで あたかも必然的にダブル・スタンダードに頼りがちになる。――そうでなくてもふつうのイリ人においても ウソでない心とウソの心との相克の問題が ごく一般的に ある。
5-3. それは 広くマ(間・間合い)の問題である。人びとのあいだのそういった心的および社会的な《関係ないし連関》のあり方を問題としうる。ここでは 《 A (アマテラス)‐ S (スサノヲ)》連関制としてのマである。
6. 大政奉還のもんだいは 《 A (アマテラス公民)‐ S (スサノヲ市民)》なる連関制としてのマのあり方を問う。なぜなら S市民社会圏に主権が存するというなら A公民圏の主導する体制は 言わば大政が逆立ちしていると考えられるゆえ。
6-1. 一階とお二階さんとのマの具合いであり 間合いの取り方であり そこに起こるマ‐チガヒをめぐる正し方 こういった問題である。
6-2. 端的に言ってこのマの問題は おそらく一階のマツリと二階からとりおこなうマツリゴトとが逆立ちしている ということではないか? そしてそこから マチガヒがつねに起こり得るのではないか?
6-3. 細かくは たしかに第一階においてスサノヲ市民どうしの間でも 仲間と仲間のあいだにマチガヒが生じるであろうし お二階さんどうしの間でも 同じような問題が起こるものと考えられる。
けれども問題は そもそもは《 S (大政主権)- A (従属)》の連関だったものが A圏主導の《 A(主) - S(従) 》連関として逆立ちしているというところにあるのではないか。
6-4. つまりは すぐれたアマテラス族の初めの人びとにおいて いくら光り輝くイデアを見たと言っても その《いと高きところ》なる理念の扱いにおいてすでに初めに逆立ちしてしまっていたのではないか。ヨセなる超歴史知性として品行方正なるその人格は むしろただ理念に合わせたものだったのではないか? 理念が独り歩きして 逆立ちしているのでは? 小間使いは 英雄のすがたを知っている。
6-5. イリ人は このイデアをとおして――《をとおして》――ムラムラのマツリをおこないカミにささげものをした。ヨセ人は このイデアじたいにカミを見た。あるいはさらにみづからがカミとなった。
6-6. こう見る限りで ヨセ人のヨセ知性は イリ人のイリ知性に対する反措定であると捉えられる。超歴史知性として ふつうの歴史知性の上をアマガケル振る舞いに出たのだ。
6-7. つまりそれが あやまたざるアマテラス科学語およびアマテラス人格語であるが これは 必ずしも通じることのないアマテラス語方言とよぶべき言語類型に落ち入りがちである。神聖にして侵すべからずという無謬性の神話に包まれている。つまりその神話につつまれなければ チカラを発揮しえないからである。神話とは クウキのことでもある。
6-8. つまりはその無謬性の神話から必然的に現われると言っていいところの二枚舌現象である。
6-9. ゆえに科学および人格の普遍性をとらえるアマテラス普遍語が単なる擬似アマテラス語方言であるに過ぎなくなる。訛っていなくても 舌が二枚 使い分けられている。
6-10. これに対するイリ人=スサノヲ市民の打ち出す反措定は 無謬性を帯びさせようとする反措定に対する反措定であるから 綜合であり人間のふつうの存在(知性)のふつうの肯定であると考えてよいのではないか?
6-11. これが 逆立ちする《 A (アマテラス)‐ S (スサノヲ)》連関制としてのマチガヒからのマの回復であり つまりは ムラムラの主権の実現としての大政奉還である。
7. これまでの歴史において アマテラス語方言が社会を覆っていたとしても つまりそれが《不当にも》社会において有力であったとしても 人びとはこれを どういうわけか 難なくこなして来ていた。のかも知れない。あきらめムードだったかも。
7-1. 時代が変わり社会のあり方が変わり もう《こなす》ことがむしろ出来なくなった。こなす・こなさないの問題よりも アマテラス語方言の誤謬が ただ街を歩くだけでそこら中に見えて来てしまった。また 経済的にも立ち行かなくなった。
7-2. アマテラス公務員の無謬性なる神話がくづれた。
7-3. この A - S 連関というマの逆立ちをただすことがいまの課題であるのではないか?
7-4. A - S 連関は 社会形態として国家のことであるのだから 現代においてこの逆立ちの逆立ちは じつは国家の止揚として世界史的な課題であるのではないか?
7-5. 国家ゆえに領土問題と戦争と経済戦争があるのだ。(かな?)