caguirofie

哲学いろいろ

人間は神や仏と対話など出来ません!?!?!?

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長いですが。



ダビデは 敵ゴリアテを倒したあと人びとの人気が出て イスラエルの初代国王サウルはこれをねたみ始めます。とうとう亡き者にしようと謀ったので ダビデはほら穴の中に逃げます。

史実かどうかを別として そのときダビデがうたったといううたです。

▲ (『詩編』 第142篇) ~~~~~~~~~
http://bible.salterrae.net/kougo/html/psalms.html

ダビデがほら穴にいた時によんだマスキールの歌、祈り

わたしは声を出して主に呼ばわり、
声を出して主に願い求めます。

わたしはみ前にわが嘆きを注ぎ出し、
み前にわが悩みをあらわします。

わが霊のわがうちに消えうせようとする時も、
あなたはわが道を知られます。

彼らはわたしを捕えようと
わたしの行く道にわなを隠しました。
・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ この祈りは 対話なのか? 人と神が互いに語り合ったということなのかどうか。

 




ダビデは:
▲ (同上:138:3 ) 
あなたはわたしが呼ばわった日にわたしに答え、
わが魂の力を増し加えられました。
☆ とも言っています。名もないただの羊飼いの子であったダビデは その後じっさいに第二代の王になります。それで対話は どうか。果たして 成り立ったのか。



あるいは こうも言っています。
▲ (同上 139:1-4 ) ~~~~~~~~~~~
主よ、あなたはわたしを探り、
わたしを知りつくされました。

あなたはわがすわるをも、立つをも知り、
遠くからわが思いをわきまえられます。

あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、
わがもろもろの道をことごとく知っておられます。

わたしの舌に一言もないのに、
主よ、あなたはことごとくそれを知られます。
・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



☆ どうなんですかねぇ。

次のように語っていることなどは ダビデ本人の心の内では あたかも神との対話が成り立ち じっさい言葉が交わされたと言うべきなんでしょうか どうですかねぇ。

▲ (同上:139:7-12 ) ~~~~~~~~~~
わたしはどこへ行って、
あなたのみたまを離れましょうか。
わたしはどこへ行って、
あなたのみ前をのがれましょうか。

わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。
わたしが陰府に床を設けても、
あなたはそこにおられます。

わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、
あなたのみ手はその所でわたしを導き、
あなたの右のみ手はわたしをささえられます。

「やみはわたしをおおい、
わたしを囲む光は夜となれ」とわたしが言っても、
あなたには、やみも暗くはなく、
夜も昼のように輝きます。
あなたには、やみも光も異なることはありません。
・・・
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☆ 自暴自棄。破れかぶれなる心が 神にあ〔るわが心にあっ〕ては そうは成らない。成らせてくれない。




わたしは この種のあたかも神との語らひについては 絶対性なる神について捉える場合に 特殊絶対性〔とよぶ信仰のたまもの〕と言っています。

一般絶対性とは別だと。つまり 一般絶対性が個々の人にも成り立つ個別絶対性――要するに 人びとみなにとって成り立つ神すなわち普遍神という理論――とは別に ひとりの人間の主観内面それぞれにあって現実に成り立つ心の問題であると。

《非思考の庭――信仰――なる動態》にあって得られる主観たるヒラメキ・観想であろうと。

あ た か も 神との対話が成った。――つまりは 神からの一方的なハタラキカケが その経路は決して知られることなく はたらいた。のだと。

《おおいなる自然史過程》とも 別様に よんでいます。(普遍神を《無い神》とよぶ別派のために。これを置いてきぼりにしたら わたしは 普遍神に叱られます)。