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哲学いろいろ

世界史における《力への意志》の位置づけ

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9954572.html

次の仮説について 添削をどうぞ。

             *

1. 《知性》のあり方についての分類から始めます。 

  −1:原始心性=《ヨリ(憑り)》:アニミスム&シャーマニスム
                  世界との未分化にして一体性。
                  寄り憑く状態が つねなるかたち。

  0 :歴史知性=《イリ(入り)》:世界の内への入り。
                  未分化状態を時間(生死)の自覚がやぶった。
                  《世界‐内‐存在》。

  +1:超歴史知性=《ヨセ(寄せ)》:世界の第二階(メタ・イリ)に位する。 
                  そのような雲の上から 《ヨリ》心性を束ね
                  (ファッショ) 《イリ》知性をも 社会力
                  学上(政治的に) 引き寄せる。

 
2. なぜ 最後にヨセが出て来たのか。これが チカラへの意志の象徴であるので
はないか。これは はっきり 要らぬものという理解に立ちます。(人によっては 
必要悪と言います)。これは 宗教(まつりごと)の始まりです。

2−1. マツリゴトとは 平屋建てだった市民たちの社会を二階建て構造にしてそ
の二階から共同自治する社会経営の方式です。マツリは 一階の人びとのお祭り。


3. イリなる歴史知性は 世界にあってわが生活すなわちわれらが共同生活におい
て 互いの自由をとうとぶ。《時間的なること(存在)》をいつくしみ 限りあるも
のゆえに互いの意志自由を重んじる。民主制である。

3−1. それには 《経験合理性》がそれとして とうとばれる。(事実認識が 
基礎である。排中律や 因果関係の把握などをまもる)。

3−2. 特に経済生活では たとえば少ない費用で多くの成果を得ることを目指す。
これは 勤勉と呼ばれる。

3−3. 経済活動にあたっても 勤勉なるイリ歴史知性は 倫理の側面を重んじる。
ふつうにまじめに生きようとしており いわゆる人格の陶冶につとめ 商業道徳をお
もんじるようになる。勤勉が 産業を築いた。




4. ヨセなるスーパー歴史知性は イリ歴史知性と同じくこの勤勉志向を やはり
経済的にも倫理的にも問い求め さらには言わば徹底して目指すようになる。かんた
んに言って ガリ勉である。勤勉至高主義となる。

4−1. もともと優秀であって さらに優秀であることに価値を置く生き方なので
あると思われる。品行方正であると見られることを 意識している場合が多い。
 



5. ちなみにここで 人びとのふつうの勤勉にもとづく生活においては あやまち
うるスサノヲ人間語をしゃべっていると言える。その基礎においては 合理性を問い
求めている。

5−1. 他方 勤勉至高主義を志向するガリ勉超知性にあっては あたかもあやま
ち得ない普遍性を問い求めて行く。たぶん 優秀さとともに 他人(ひと)に負けた
くないから 他人の上に立ちたいからという思わくもはたらいていると思われる。

5−2. これを 科学および倫理にかんするアマテラス普遍語として獲得するよう
になる。アマテラス科学語とアマテラス人格語と。むろん スサノヲ人間語から出た
のである。

5−3. 学力優秀で品行方正なる優れた人間が出て アマテラス普遍語をよく駆使
するようになると 自分からか周りの工作によってか すでに神のごとくいかなるも
のの下にも立つまいと誓うようになったらしい。その存在じたいが 侵すべからざる
神聖さを帯びたと見なされるように自分をも周りをもそして人びとをも寄せつつ お
しえ導くようになる。

5−4. 武力に支えられつつであるが 人徳のしからしむるところだと見られた。




6. 人びとのしゃべるコトバは スサノヲ人間語とアマテラス普遍語との二重構造
になった。(やがては アマテラス普遍語にも 片寄りがあり 都合のよい部分で普
遍的な内容を示すだけのアマテラス方言も 使われるようになった)。

6−1. そうして社会も あらためて言えば スサノヲ市民社会とアマテラス公民
圏との二階建て構造を採った。国家と呼ばれる。
 
6−2. もっとも現代ではすでに 主権在民とうたわれており アマテラス公民は 
公僕であり スサノヲ市民のために社会を経営する。




7. さらにひとつの問題は 世界の経済活動において 勤勉至高主義なるガリ勉が 
さらに徹底してガリ勉至高主義となって 経済合理性のみを追求するウゴキである。

7−1. たぶんそれは 人間観として 個人は

 《スサノヲ( S )市民=アマテラス( A )公民》としての単層なる人間像

に立つ人びとの側から 初めには出て来たものと思われる。日本人は 

 《 S - A 二層連関構造》なる個人

ではないかと考えられる。

7−2. 言いかえると 《 S = A  なる単層》としての人間観に立つ人びと・つま
りは一般に欧米の人びとの社会は 次のような二階建て構造なのだと考えられる。

 〔スサノヲ市民社会(《 S = A 》人)‐ アマテラス公民圏(《 S = A 》人)〕

だれもが アマテラス公民を志向するのであろうか。つまりは・だから 
《 S 圏 ‐ A 圏》の二階建ては そのA圏二階の住人が つねにひっくり返される
ウゴキ( revolution )を秘めている。

7−3. これは ひとりの個人が 《イリ歴史知性=ヨセ超歴史知性》なる心的現象
を示す人間像であるように見られる。《万人の万人に対するたたかい Bellum omnium
contra omnis.》。

7−4. そこで特には経済基礎において ガリ勉主義としての論理徹底指向なる合理
性がグローバリズムとなって世界の隅々をも席巻しつつある。

7−5. ニートは このようなメーキャップをした世界の顔を見て 悪びれず やっ
てらんねえよと言った。




8. これから どうなるか? グローバリズムは とうぶんつづくか。二階建てなる
国家は ひょっとしたら ひらぺっちゃくなるかも。