なぜ生きないか
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie
★ (2) 世界(この世)の真理は何ですか?
☆ どうも 《無根拠》だと考えられます。
親鸞という人間は
(α) 義無きをもって義とす
というふうに表わしました。
つまり この《無根拠》を 人生を生きる根拠としてもよし 根拠とはしなくともよし となります。
無根拠を根拠とする場合には これを神と言ってもよいでしょうし アミターバ・タターガタ(阿弥陀如来)と呼んでもよしマハーワイローチャナ・タターガタ(大日如来)もよし あるいはブラフマンとか さらにはヤハヱーとかクリストスとかアッラーフとか さまざまな名で呼んでも その《無根拠》そのものに変わりない。こうなります。
★ (1) あなたの人生の目標は何ですか?
☆ 何のために《この世の真理》を《無根拠》と捉えたか? あるいはそもそも《真理》とは何か?
真理とは何かについて多少とも分かるように言ったのが 《無根拠》ということですから では真理を無根拠と知って どうするのか? 何の得があるのか?
これについては
(β) 真理は きみたちを自由にする
と言われています。どういうことか?
真理であるなら あなたの・わたしのあるいは誰々の考えることはすべて分かるという状態です。
あるいはつまり 世の中のすべての人の思惟と行動とが分かる。
しかもそれらの行動の社会的な相互影響の関係や過程やその構造的な――動態としての――からくりも 人類の初めからおしまいまですべて分かる。というような状態のことです。まぁ 想定として言っているわけですが。
でもそのような真理が――部分的にでも――知られるならば ひとはかなりの程度において 自由になる。のではないでしょうか?
そして そのように人間どうしの行動が社会的に歴史的にこれこれこういうふうに相互に影響してあれそれのようになったと知ったという場合 では そのコトが どのようにして・なぜ起きているのか?
この問いを立てた場合 その答えは 《無根拠》である。というものです。《自然史過程〔に人びとはそして生物も何もかも従う〕》というふうに言いかえてもよいと考えます。
(α) 義無きをもって義とす
です。