上田正昭
- 日本の原像――国つ神のいのち―― 1970
プラトオは愛すべし。真理はさらに愛すべし。(p.232)
折口には不条理の意識があり柳田には彼一流の合理的意識があった。折口の民俗学は 対立・葛藤・郷愁・疎外をモチーフとするいわば不幸な民俗学であり 柳田の民俗学は 日本人の幸福の追求を目的とした民俗学であった。
という谷川健一の批評は 言い得て妙である。
・・・(中略)・・・
私はかつて師(=折口)の《巡遊伶人》論や《語り部》論にたいする批判をこころみたことがある。政治的従属関係や歴史の変革をともすれば見失いやすい折口学の弱点を その実態にそくして論究したつもりである。権力構造とのかかわりを遠回しにしか言い得なかったその態度は ややもすれば学そのものの歴史ばなれをもたらしがちになる。それは時代の制約のみではなく 折口学の根底にひそむ学の不幸であった。
(pp.231−232)
かつて宣長は 『玉勝間』のなかで
吾に従ひて物学ばむともがらは わが後に又よき考えの出で来たらむには 必ず わが説にななずみそ 道を思はで 徒らに我を貴とまむは わが心にあらざるぞかし。
と申しのべた。
(p.232)
- (上田正昭:鎮魂の原点)
鎮魂の原初の姿をたずねあぐんで タマシズメよりもタマフリの方が古いことに気づくようになった。たましいを鎮静ならしめる前提に タマフリがあったのだ。
(* フリは 振り つまり 振り起こす・奮い起すの意で 鎮静の逆
のようです)。〔* タマフリを含めた〕鎮魂の時と声とは 間(ま)である。その折りにたましいが充足され それを契機として つぎの段階への飛躍が用意される。間はただのうつろなる時間と空間ではない。実は生命の蓄積されるおりめなのだ。
鎮魂の祈りを唱える宗教は多い。悲愴をよそおった鎮魂の文学もないわけではない。しかし 《やすらかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから》と懺悔するだけでは 鎮魂にはなりえぬ。
過ちは常に繰り返されて来たし 今後も繰り返さぬという保証はどこにもない。悲しみの回向に終わって たましいを眠らせてはならぬのである。
鎮魂を霊魂の鎮魂のみに志向させる祈りや詩情が 真の鎮魂と似て非なる虚像をはぐくむ。生者の責任を糊塗し死者と断絶する鎮魂は その真実にほど遠いのだ。
(上田正昭:日本の原像――国つ神のいのち―― 1970)
- (上田正昭:浄の美意識――間と節)
外来魂との接触とその肉体化 そして内部生命力の振起(タマフリ) そのつなぎ目には《間》と《節(ふし)》とが必要であった。
触れと鎮め 鎮めと振りのけじめが《節》となり その期間が《間》となる。《間抜け》であったり 《間合い》が悪いと そのみのりは《間違い》となり 《間延び》になる。
日本的美意識の根底にひそむ浄の思想をてがかりとしての《たましい》の論には・・・
石上 振神杉 神成 戀我 更為鴨
石上 布留の神杉 神さびて 恋をも我れは さらにするかも
(柿本朝臣人麻呂之歌集 十一・2417)
〔私訳:いそのかみのやしろにて われは みたま振りを受け 幾度も積み重ねて来た。いまやわがこころは神々の世界にかようほどにやわらぎ鎮められている。その我れとしたことが 恋ごころの芽生えるのを咬みしめねばならなくなるとは!〕
わたしが《鎮魂》をわざわざ持ち出したのは あくまでも《遊戯》にかかわってです。
みたまは 人格あるいはその人の意志というふうに採ってください。振るのも鎮めるのも 人が我れに還ることにかかわらせて取り上げています。自己到来は 世界との和解という主題です。
このように世間は 詐欺師と殺し屋が少なからず暗躍しているように見えるが それだけではないということ――そういう世界との和解を得るのは 案外《あそび》〔の時間〕を通じてであるようです。
こうして あそびを通じて自己還帰に到るという方程式が 片方にあります。ならばいっそのこと わたしは この自己到来を最初に持ってくればどうか? と考えたということです。
もしそれが 腑に落ちることであるのならば すでに最初から《生きる》ことが 《あそび》であるという命題を得ます。
ここに みたまの振りと鎮めが過程されるだろう。それには 間が大事であろう。この《間》が ひとの自由意志のはたらく瞬間ではないだろうか。自由意志は 非思考なる心の窓と通じていると想定されるであろうと。
ぎゃくに言えば たましいやら心の窓のことが 人にあそびを得させているのだと。ならば あそびは 生きること全体におよぶ。