――シンライカンケイ論――
もくじ→2005-04-07 - caguirofie050407
ヘイ!ポーラのもくじ→2005-02-06 - caguirofie050206
第一部 ヘイ!ポーラ物語――ポールの手記――
第一章〜第十六章→2005-03-27 - caguirofie050327
第十七章〜第二十三章→2005-04-02 - caguirofie050402
第二十四章〜第三十二章→本日
第二十四章
出会いが成り立った。このあとは もはや必ずしも時間的な経過をたどる手順によって語らなくともよいと思う。問題点となる出来事などを一つひとつ取り上げて話を進めればよいのではないか。
その後 ① この教会の教室への道すがら時折り会って話を交わす機会があったこと ② 学校で同じクラブにいたのでそこで共に時間を過ごすこともあったこと あるいはさらに③ その後 大学に入って――その時互いに遠く離れるようになっていたのだが――文通を交わすとともに 折りに触れて遠くかのじょの引越し先の町に出向いて訪問したこと などが その経過となっている。すでに言ったように ④ そこでは 必ずしも特定の二人の関係としての話らしい話はなかったこと これがその経過に伴なっている。
こういう言い方は たとえ真実であっても むごいことであろうが わたしは結局かのじょとの間に信頼関係をきづけなかった。わたし自身の一人の考えのもとに それをきづこうとし きづこうとし続けて 終わってしまった。この点を初めに明らかにしておかねばならない。
- 歴史を夜から始めるの法則にのっとって ここまで降りて述べるものである。
なぜそうなったか。またもっと具体的にその事実経過はどうであったか。これらの点について いくつかの出来事を任意に取り出して問題に取り上げよう。
第二十五章
一般的に いまの問題点を整理すれば たとえば次のように言える。
- 二人は知り合いどうしになった。
- わたしは この知り合い関係は男と女であるから その特定の関係へ向けて・その意味で自らの責任をもって 続けるとすれば続けなければならない。
- だから 少ない機会であったが 会う時は いわゆるデートである。
- だがそのような前提を超えて 話も関係も進もうとしなかった。
- それは一言で言えば 信頼関係が先立たなかった。むしろ変わった言い方によってわかりやすくすることができるとすれば 向こうは魔術によって付き合いが始まり結びつきも同じようにして出来るというふうに思っていた。こちらは その始まりの具体的な関係じたいをまず先に意識しようとしていた。
- それやこれやで わたしは文通を必ずしも絶やさなかったし 《デート》の誘いをも折が来ていると思えば切らさなかった。(ただし 一年に数えるほどである。)先立つ意識の内容を追求しつづけたのである。
- どういうわけか かのじょは結局のところそのような申し出にはほとんどすべて応じた。
- 結果 二人の具体的な関係は 途切れず しかも何の進展もない。
- わたしは実際にこう思うようになった。ほんとうに信頼しあえるようになればいいのだがと。それは こういうことである。その信頼関係が成り立つなら むしろ その時別れるということであれば 互いにすっきり別れることができる。そのための信頼関係なのだと。これは 学生時代 二十歳前後から思うようになった。
- しかもこれらすべてを合わせて 結果としては ことごとく曖昧のまま 過ぎていった。愚かなことをひとつ交えてよいとすれば 時が経つにつれてわたしは 近況がどうなのか・すなわちもっと具体的に言えば もはや別れているも同然であるかないか これの確認のために 声をかけていた。かなしいことにそのような確認が得られないならばわたしは何もあたらしいことを始められなかった。
第二十六章
要するにこのような奇妙な・そしてどこか愚かな関係について それでもわたしのほうから言い分があるとするならば それはかのじょには自らの意思表示をはっきりさせて欲しかったということ。言いかえるならわたしはいつも返事を待っていた。基本としてわたしはこの関係を引き受けようと決めていた。だから流れた噂の内容を折りに触れみづからも言葉にしていたし そのことをかのじょは受けとめたはずだ。やがて イエスという答えが望み薄のようであれば むしろノーという答えをもらえないかと腐心した。その返事をもらう場の設定については 常にイエスが返ってきた。そのような情況が続いた。接触の場については受け容れるイエス その先についてはだんまり。かのじょには自らの意思表示を明らかにして欲しかったということ わたしの言い分はこれに尽きる。
第二十七章
奇妙な話は阿呆な男の物語となったようである。だがこれを引き受け さらに続ける。
たとえばわたしは 最後の頃(というのは 大学三年・四年の頃からその卒業後一・二年の期間)になって その最後に思い余って――ただしこれは望ましい事態ではない―― 結婚を申し込むことになったのであるが その返事も 半年後に返ってくるということであった。
それでも これは 明確な意思表示であった。この関係を引き受けるという覚悟をして わたしは親を介した正式の申し込みをしたので 相手のほうも両親が遠路はるばる返答を伝えに来られた。本人は現われずに両親の口から断わりの言葉があった。そしてそこでは これからもいつでも遊びに来てくださいとの言葉が添えられていた。
これには困った。この添えられた言葉には困惑した。なんのことはない 振り出しに戻ったと思ったのである。わたしの側の信頼関係もんだいとはむしろ別のかたちで・別のところから 二人の間柄をもういちど初めからやり直しなさいとでも言っていると採った。
両親の口から これからも自由に遊びに来てくださいという表現が出たのは わたしがその前に いまノーという返事をもらってこれで一切すっきりしましたねという顔をそのご両親の面前に差し出したからである。ノーの返事をもらって実際わたしは ひとつの重荷が取れたという感覚を持ち その感覚を味わっていたからである。これは まったく逆にわたしにとっての信頼関係の問題なのであった。これはいかん 振り出しに戻ったわい ということになった。(だから決して その遊びに来てくださいという表現は 社交辞令ではない。また 社交のためにもそういう言い方はしないものであるはずだ。)
第二十八章
ここで事態ははっきりした。かも知れぬ。
わたしは――相手のほうの問題は いままったく別にして言えば―― 一方では この付き合いを義務として おこなっていたらしい。しかも他方で――分析内容としては のちのちになって 判ったことだが―― かのじょのような顔つきと表情とは わたしの好きな形態だったことである。義務にもし論理があるとすれば そのような意味内容として 義理という言葉が考えられる。その義理で わたしはこの付き合いを続けていた節がある。そして まさにかのじょの顔は わたしが幾度となく 感覚として魅かれる形態であった。
この時はっきりした事態とは わたしがみづからの行動を 義務感からおこなっているのではないかということであった。
- ここで 一たん 急転直下のごとく 自分の側の事情について一つの悟りを得たかのように 語り出している。そしてこのあと〔1994年の文章では〕 いくらか いやそうではない いや ただしこちらのほうはどうか うんぬんといったかたちで述べたりしている。
- おおむね それらの内容は 今年になってつづり始めた《ヘイ!ポーラ物語》*1に受け継いでいることである。
- ヘイポーラ物語のほうでも ああでもない こうでもないと 未だに揺れているが 《ポーラの述懐》の登場あたりから 落ち着いてきたのではないだろうか。
- コミュニケーションの問題としてみれば・しかもその話し合いの仕方に限定してとらえるならば 二人のあいだに明らかな齟齬があった。歯偏の齟齬は くい違いをいうらしいが あきらかに対話が噛み合わなかった。
- ポールのほうは 意思表示が何ものにも先立つ。それがなければ出発しない。その前の段階は ただの助走である。
- ポーラにしてみれば この日本の社会ではこころや気持ちを重んじると美しく言われる場合があるように 心理の動きを察して捉え合い これをあたかも交通信号としてのように あとは 無言の内に行動を起こすといったところだろうか。思いやりの社会という。
- 互いの合意にかかわる最後の一言(もしくは最初のむすびつき) これの意思表示を残して わたしは すべてに譲歩して 思いやったつもりだったが・・・。
- このポールの手記は ここで ひととおり打ち切る。そして これらきわめて私的な文章を《ヘイ!ポーラ物語》として一まとまりとした上で つづいて コミュニケーション論としての評論に継ぎたい。→《風の歌を聞いた》:2005-04-08 - caguirofie050408
付録――第二十九章
ここで もし二人の関係があいまいでなかったとするなら その仮定の上では 次の一つの議論をすることができる。
それは 信頼関係主義とそれの無化との争いとして 事が経過しているという実情のことである。
わたしは 前者の考えに立つゆえ 信頼関係をあとまわしにしてはいけないのだし その確立なしには特定の個人的な関係には入らないと――むしろ単純に それのみ―― 言おうとしていた。これに対してポーラは後者の立ち場なのである。
もしそうだとすれば こう言っている。ポールの見解は 間違っている。間違いというのが言い過ぎだとするならば たしかに 議論は あとまわしにするしかない。もしくは すでに走りながら 議論していくしかないはずだ。信頼の問題は 最終的な煮詰めた議論としては 実現が不可能と見なさざるをえない。そう断定しないとしても 結論をあいまいの内にとらえつつ 特定の関係に入るしかない。と言っている。
第三十章
信頼の問題で その実現の可能性について あいまいの内にとらえざるを得ないということは――わたしの解釈では―― 議論をしようとしているのではなく 議論を放棄した結果だということを意味するのではないだろうか。
人は互いに信じ合えないという命題を大前提としていると言ってしまってもよいのかもしれない。だが わたしの感触としては どうも そうではなく はじめから 議論じたいを打ち捨てている姿勢であるように捉えられる。だから 信頼の問題の無化という立ち場だと表現した。なにを言ってるんだ 日本人どうしじゃないか まあまあというせりふが むしろ そこでは 大前提なのである。
もしこうであるならば 問題は はっきりしている。いま知り合い関係にある。これを どう扱うかに焦点が当たる。わたしは 信頼関係がだめなら 別れようと言っている。ポーラは 人間にとっては だめが本当なのだから 考え方を ポールよ 改めなさいと言おうとしているのだから。
このような議論に――言葉では直接には触れずに 常に間接的には主要な議題として――わたしは おつきあいしたことになる。
第三十一章
感受性 もしくは 意識せざる感性において 人間不信論をめぐって 十年 議論がつづいた。
わたしは 意見としては反対ながら その人間不信論(つまり 信頼関係どうでもよい主義)を ポーラの意思として認めざるをえなかった。そして それだけでは 二人のあいだに 何の合意も解決も得られなかった。
わたしは 自分の信頼関係先行説を降ろすことは できなかった。こちらの主張のほうは ポーラが認めるということはなかった。
この種の議論の紛糾をはさんで 知り合い関係はつづいたのである。プロポーズの答えが出たあとも やまなかった。
第三十二章
単純に具体的に言って 結婚申し込みに対する断わりを その後あらためて批准してくれたなら その時 自由な関係のうちに互いの主義主張を認め合い 別れるというかたちででも すべてはめでたしということになったのではないか。プロポーズじたいに そういう意味合いが含まれていたはずなのである。それは わたし自身も 突然の申し出を提示し ポーラの流儀を逆手にとった恰好になっている。決断を――すなわち 信頼関係論にかんして対立する主張を互いに認め合うか否かの決断を―― ポーラに迫ったことになる。
この分析結果は 筋が通っている。ただ それは 論理の筋が通っていることがらを通したことによって どこまでも相手の合意を俟つという大きなほうの優先させるべき主義に反した行き過ぎであったかなかったか。
その時までには 時が熟したと思ったからであろうが ポーラにとっては 熟していなかったか。自分の旗を降ろすことはできない相談なのだから もっと時間をかけて 説得しつづけるべきだったか。結果としては その時間をかけて続けてきたことになる。
たしかに その信頼問題の議論であるなら それとして 一般的に 思索を及ぼしていくことができる。
(つづく→2005-04-08 - caguirofie050408)
*1:ヘイ!ポーラ物語のもくじ→2005-02-06 - caguirofie050206