caguirofie

哲学いろいろ

2005-02-06 - caguirofie050206を承けています。

あたらしい一章へ向けて

Q:なぜ 結ばれなかったのか。
A:たとえば こうである。十年ののちのファースト・キスの機会*1に ポーラはくすくす笑っていた。五分後にも 同じだった。逃げよう・避けようとするわけではなく こちらが強引に出ることも出来たが そうすると 飼い犬か人形に口づけするのと変わりないと考えられた。
この体験が すべてを象徴し すべてを物語るように考える。
Q:では逆に なぜ 去らなかったのか。
A:それは 理屈を超えている。けれども 去る三月一日の体験*2に要約されるのではないか。
この日 わたしから狐憑きが落ちたのである。からだが軽くなった。だからと言って 手枷・足枷があったわけではない。そういつも感じていたわけではない。むしろ三十代までは まったく自由だった。四十歳ころから 逆向きの風が吹いた。つねに縛られているという感覚を持つようになったというよりも 離別が完了しなかったということだ。もやがかかっていた*3。三月初めに 完了したという感覚を覚えたのだ。
Q:では ポールとポーラとは なんだったのか。
A:わからない。
わたしに分かっていることは ポールにとって その楽しい側面というのは 将来の伴侶が出来たという気持ち*4であり その期待に夢がふくらんだ。将来が楽しみだった。それが 推進力であった。現実にうれしかった・楽しかったという思い出は いくらもない。それでも 連れ合いの候補であることを 引き受けていたのだ。 
Q:で あたらしいページが開かれようとしているのか。
A:いや わからない。
しかし そう考えるのは とうぜんだ。旧い章へ戻るわけではない。引き受けたことは――結果的にだが―― すべてやったということだ。誇れる。
早くに解決しえていたならば 言うことなかったが。
《〈肉〉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまった》*5と受け取って歩んできたが まっとうしうべくもなかった。
《侮辱されては祝福し 迫害されては耐え忍び ののしられては優しい言葉を返しています。今に至るまで わたしたちはこの世の屑 すべてのものの滓とされています。》*6はどうか。反応として 日本語の社会では 文字通りに《祝福》や《優しい言葉》なのではないように思えるのだが どうか。《迫害》される前に 去ってしまう*7。逃げないのだけれど 逃げないということは もはやこちらからは何もしない それが 去るということになる。などなど 感慨はある。
Q:それはどういうことか。要するに ポーラがどういう人間だというのか。
A:いや まだ まとまった感想ではない。時とともに 明らかになるものと思う。
だから ここでわかったことは ポーラは今では わたしに もはや 何も要求できない状態になったということだ*8。感情のもつれなどのすべてにわたって わたしは あたう限りに 答えてきた。全人格を受け留めていたと思う。応え尽くしたと思う。音信が途絶えてからも 無視しなかったということである。
無言のうちに もやがかかっていたのが 無言のうちに 消えたというただそれだけのことではある。 
関連事項→2005-03-09 - caguirofie050309
 

*1:2005-03-09 - caguirofie050309

*2:2005-03-01 - caguirofie050301

*3:物の怪などという日本語を聞くと まさに それは おとぎ話ではなく 現実だと感じてしまう。源氏にかかわる六条御息所もののけは 生き霊なのだという。→http://www.sala.or.jp/~kawariku/genzi7.htm

*4:当時 相良直美の唄の歌詞を 《世界のため二人はあるの》というふうに替えていたその考え方に関係している。

*5:ガラテア人への手紙5:24

*6:コリント人への第一の手紙 (聖書の使信 私訳・注釈・説教)4:12−13

*7:迫害・罵りは ポーラとの間のことではない。侮辱がやや関係する。

*8:わたしは解放された。