caguirofie

哲学いろいろ

peut-être une quesiton du lien entre un signifiant & un signifié

ただ 次の言説は 分からない。

もしあらかじめ店のほうで、おのおののメニューを表すトークンを外注して作らせていたとする。(前払いで勘定をすませると小さな色のついた札のようなものを渡される店もある。)この場合の型代と型との繋がりは、即興的に作られたあの型代に比較するとはるかに緩くて間接的である。この記号を<シンボル>と呼びたくなるのは無理もない。しかしそれでも、ここにはソシュール的な<恣意性>などはない。
現在思想のために060615

トーク :型代 :signifiant ・・・→〈シンボル〉?
メニューの品 :型 :signifié

これらの間に 記号環境という情況から 必然的なつながりが あることによって 《ここにはソシュール的な<恣意性>などはない》というのだろうか?
店や店員が 必然的な・有意のつながりがあると決めた形式=内容のものを トークンとしたのではないだろうか?
つまり 店員らの主観の中のつながりは かのじょらが 恣意的に決めたのではないのだろうか?別の人なら 別の必然性をもって 有意のつながりを考えたのではないのだろうか?
それらは 広く一般に 《ソシュール的な<恣意性>》のもとにあるということではないのだろうか?

id:namdoog 氏は 出し惜しみではないでしょうのに・・・。

#41

――ボエティウスの時代・第二部――
もくじ→2006-05-04 - caguirofie060504

§5 ローマへ ** ――文学と文明と―― (41)

そこで われわれは 新しい文学論を模索しなければならない。愛欲論・家族論そして事業論は 思想として質料論であるが これの方式を 時代に即した種関係的平面の交錯関係の中から 模索しなければならない。思想的な質料論については 《α》の無限追究一元論および《β》の無限判断一元論による文学観それぞれに対して また 社会全体的な文明論としては 類関係の観念的な一元論に陥るような社会科学先行論による文学観に対して いづれの場合も アンティテーゼとしての批判を出しただけでは 不十分であるから 肯定的に新しい文学論の方式を 提出しなければならないと思われるゆえ このように ばかみたいに 勇みこんだとしても 愚かだということには ならないであろう。(文学論の方式は 経験可変的である)。文学作品としては 第一部に提出したから それが なお不十分であっても この問答の道は すすんでよいものと思われる。
以下が 本論である。おおきくは 第二局面における一段階としての 新しい一つの方式 しかも これは つねになお 過程的であって 時間的・経験可変的であることを まぬかれない この点は もはや繰り返すまい。

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資本市場と企業統治

小幡績――日本経済新聞・経済教室(2006・06・19)

資本市場で最も重要なのは 外部の少数株主の権利を保護すること。

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