caguirofie

哲学いろいろ

peut-être une quesiton du lien entre un signifiant & un signifié

ただ 次の言説は 分からない。

もしあらかじめ店のほうで、おのおののメニューを表すトークンを外注して作らせていたとする。(前払いで勘定をすませると小さな色のついた札のようなものを渡される店もある。)この場合の型代と型との繋がりは、即興的に作られたあの型代に比較するとはるかに緩くて間接的である。この記号を<シンボル>と呼びたくなるのは無理もない。しかしそれでも、ここにはソシュール的な<恣意性>などはない。
現在思想のために060615

トーク :型代 :signifiant ・・・→〈シンボル〉?
メニューの品 :型 :signifié

これらの間に 記号環境という情況から 必然的なつながりが あることによって 《ここにはソシュール的な<恣意性>などはない》というのだろうか?
店や店員が 必然的な・有意のつながりがあると決めた形式=内容のものを トークンとしたのではないだろうか?
つまり 店員らの主観の中のつながりは かのじょらが 恣意的に決めたのではないのだろうか?別の人なら 別の必然性をもって 有意のつながりを考えたのではないのだろうか?
それらは 広く一般に 《ソシュール的な<恣意性>》のもとにあるということではないのだろうか?

id:namdoog 氏は 出し惜しみではないでしょうのに・・・。