caguirofie

哲学いろいろ

gloucestershire, uk


◆(回答№7) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(あ) 問題は「本人が自分の人命を軽んじたこと」にあると思います。
(い) 自らの命を軽んじる者が、その行動において起こしたことの責任を
他者が全て補える訳ではないと言うことです。
(う) つまり、物理的な限界は必ず有ると言うことです。
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☆ (あ)は 無謀にも危険を冒したと本人自身がいちばんよく知っている
はずだと言っているのだと思います。

(い)は その事情いかんにかかわりなく 国は救助するという本筋を言っ
た上で言うべきだと思います。

とは言うものの そのような国による助けを当然だと見越して危険を冒す行
為は――そしてその冒険者の行為を当たり前だと言わんばかりに≪自己責任≫
をないがしろにしてよいという人びとの発言にかんしては―― やはり無謀
でありまたその無謀さに触れない発言は言い過ぎではないか。と言っている
ものと思います。

(う)の≪物理的――つまり資金を含めた救助手段にかんする――限界があ
る≫というのは 最終の結果を見てそう言わざるを得ない場合があるという
ことではないか。


つまり≪コウモリ≫派のわたしめは 次のように両者の言い分を批判します。

≪自己責任≫論が 自業自得だと言うのみだとすれば 社会的共生としての
人間性をないがしろにしていると言います。

しかし 同じくこの人間の社会性を別の意味でないがしろにする場合がある
のではないか。
つまりそれは 国の助けは当然だと言っても 無謀だと分かっているところ
を強引に行動しましたといった反省の言葉をあとで言わない・言えない本人
がいるとすれば そういう場合であり あるいは そういう本人の態度をそ
のままよしとする人びとの発言です。



警告無視で危険を冒したとしても 無条件で国は助ける。
助かった人が警告無視でしたと一言も言わないとしたら それはおかしいで
はないかと言う。
シンプル・イズ・ベスト。!?