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哲学いろいろ

また いあんふですが

慰安婦」強制連行、『帝国の慰安婦』著者の朴裕河教授の反論

ハンギョレ新聞 2月14日(日)7時29分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160214-00023303-hankyoreh-kr

植民地警察は
「抱主たちの涙も人情もない行為に対しては当時の警察も憤りを感じ、
その署では再び転売したところに紹介して最後まで救う方針で努力」
した。
また警察は
「女性を凶悪な抱主の手から再び北支へ売り飛ばされる前にそれこそ危機一髪」
(『毎日申報』、日帝強占下強制動員被害真相究明委員会、『戦時体制期朝鮮の
社会相と女性動員』から再引用)
直前に救助しもした。


もちろん朝鮮人を含む植民地警察が植民地人に過酷ではなかったという話ではない。
だが彼らもまた「法」に反することを取り締まる程度の仕事はしたし、女性たちの
慰安所行きを防ごうと努力した痕跡も見える。
帝国日本の軍部と業者はいつでも共犯だったわけではない。騙されて慰安所に来た場合、
軍部が他の場所に就職させたケースはそれを示している(長沢健一『漢口慰安所』)。
あるいはあまりに幼ければ帰しもした(『帝国の慰安婦』)。


この二つの事実は、軍部の基本方針が詐欺や拉致性の人身売買を許容しなかったことを
示している。植民地警察は契約書を書くよう業者に指針を下し、慰安婦となる当事者た
ちにも、渡航許可願を提出するようにした。
このような「契約」という罠にしばられた慰安婦が「廃業」をするのが難しかったのは、
彼らが身代の所有者である「業者」の奴隷だったからである。

 私が「同志的関係」という用語を使ったのは、
「ほかは違っても日本は北朝鮮と韓国にはあげなきゃだめだ。台湾までも理解できる。
あそこも姓と名も日本式に直したから。私たちが国のために出なければいけないと同じ
日本人扱いしたんだ。そうやって連れていったんだから、必ず補償をしなきゃならない。
でも中国、フィリピンはみんな営業用で金を稼ぎにいったんだ。だからそれにはあげな
くても大丈夫だよ」(『強制的に連れていかれた朝鮮人慰安婦たち』5)
という声に、早くから出会っていたからだ。
「同志的関係」があったが要求される構造であったし、それに従う「同志構造内の差別」
について十分に説明した。しかし私を非難する人々はそれを黙殺した。

私は慰安婦朝鮮人日本軍と同じ徴兵と同じ枠組みで考えねばならないと考える。
だが「法」は「軍人」は保護したが「慰安婦」は保護しなかった。
日本人慰安婦に対しても同様であった。
慰安婦がしたことを近代国家システムが必要視しながらも軽蔑したからである。
「法」に依存し、歴史を判断する法至上主義ではなくても、歴史に対する反省、謝罪と補償
は可能である。
韓日合意は日本が謝罪と補償的意味を公式的に表明したという点で意義がある。
ただ政府間合意のみでは十分ではない。加えて被害者の考えも一つではない。
遅くともいまこそ国民間合意のための論議を始める必要がある。
朴裕河(韓国・世宗大学校日本文学科教授)

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