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哲学いろいろ

さら

沙羅4位 今季初めて表彰台逃す 総合Vは持ち越し

スポニチアネックス 2月14日(日)23時33分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160214-00000170-spnannex-spo


 ノルディックスキーのワールドカップ(W杯)ジャンプ女子は14日、
スロベニアのリュブノで個人第14戦(HS95メートル、K点85メートル)が行われ、
前日の第13戦で連勝が止まった高梨沙羅(19=クラレ)が
93メートル、92・5メートルを飛び4位。今季初めて表彰台を逃した。

アン-アートマン

「比丘たちよ、色は無常である。無常なるものは、苦である。
苦であるものは、自己ならざるもの(無我)である。
自己ならざるものは、
『これはわたしのものでない、これは、わたしではない、これは、わたしの自己(本体)ではない』
と、このように、ありのままに、正しい智慧によって見るべきである。」
(『サンユッタ・ニカ-ヤ』三五・四)

仏教の開祖 ゴータマ・ブッダ略伝

http://www.geocities.jp/avarokitei/go-tamaryakuden/go-tama-satori.htm
ゴータマ・ブッダ さとりを開く   ?

5.「さとり」と「ブッダ」<その3>

 「ゴータマ・ブッダの真理の核心は、
苦である輪廻的な生存を引き起こす究極の原因は根本的な生存欲であり、
それを滅ぼすものは智慧であり、
そのためには、輪廻的な生存にまつわるあらゆる経験的な事実が構成している因果関係の鎖を徹底的に観察、考察しなければならない、
というものである。・・・。
これこそゴータマ・ブッダがはじめて発見したものであり、ここにこそ、ゴータマ・ブッダの本当の独創性がある。
仏教はこの独創性を根拠にして開かれたものである。
この独創性をじかに表現したものが十二因縁観と四聖諦説であり、
それに教育的な配慮が加わって出来上がったのが、戒定慧の三学という仏教独自の修行体系である。
そして、この独創性を補完するものが無常観であり、その無常観をさらに補完するものが非我観である。
これに経験的に知られる事実のみを直視すべしというゴータマ・ブッダの基本姿勢である経験論が加わり、
形而上学的な問題への関与の拒否(十難無記)が出てくる。
おおよそこれで、最初期の仏教は骨太の体系を完成したのである。・・・。
つまり、仏教が、時代と地域における思想状況を背景としつつ、
しかもなおゴータマ・ブッダの発見になる圧倒的な独創性を土台とし、
完璧ともいうべき論理構造を持つ倫理体系を持って出発したことが、明快に推察されるのである。」

マッジマ・ニカーヤ(中部経典)第26経

「わたしは一切に打ち勝てる者、一切を知る者である。
  すべてのものに汚染されず、
  一切を断つ者となり、渇愛が滅したとき解脱したのである。
  自ら知ったのであるから、誰を師とあげようか。
  わたしには師はいない。わたしのような者は存在しない。
  神をふくめた世界において、わたしと肩を並べる者はいない。
  わたしは世間で尊敬されるべき者であり、
  わたしはこの上ない師である。
  わたしは唯一の正しく目覚めたものであり、清涼であり、
  安らいでいる。
  法の輪を転ずるためにカーシー(=バーナーラシー)の都に行く。
  無知の闇にしずむ世界で不死の太鼓を打ち鳴らすであろう。」
     (マッジマ・ニカーヤ第26経)

Majjhima Nikaya

https://suttacentral.net/pi/mn26
26 Pāsarāsisutta (Ariyapariyesana Sutta)



‘Sabbābhibhū sabbavidūhamasmi,
Sabbesu dhammesu anūpalitto;
Sabbañjaho taṇhākkhaye vimutto,
Sayaṃ abhiññāya kamuddiseyyaṃ.

Na me ācariyo atthi,
sadiso me na vijjati;
Sadevakasmiṃ lokasmiṃ,
natthi me paṭipuggalo.

Ahañhi arahā loke,
ahaṃ satthā anuttaro;
Ekomhi sammāsambuddho,
sītibhūtosmi nibbuto.

Dhammacakkaṃ pavattetuṃ,
Gacchāmi kāsinaṃ puraṃ;
Andhībhūtasmiṃ lokasmiṃ,
Āhañchaṃ amatadundubhin’ti.

Sabbābhibhū sabbavidūhamasmi,
Sabbesu dhammesu anūpalitto;
Sabbañjaho taṇhākkhaye vimutto,
Sayaṃ abhiññāya kamuddiseyyaṃ.
・ sabba:a.n.[Sk.sarva] 一切の,すべて,一切のもの.
(sg.) nom.sabbaṃ = acc.; instr.sabbena; abl.sabbato,sabbaso;
(pl.) m.nom.acc.sabbe; gen.sabbesaṃ; loc.pl. sabbesu
・ abhibhū:m.n.a.勝利,胜者,阿毘浮,すぐれた[天],征服した. cf.abhibhavati
・ vidū:?a.[Sk.vidu] 賢き,賢明の; 知者
・ haṃ:adv.[skt=〃 私は言う,注意をうながす 語] iti haṃ=iti.
・ upalitta:a.[upalimpati の pp.] 汚染せる,けがれたる./ an-upalitta のように u は短音でないのは何故か。
・ jaha:? a.[cf.jahati] 捨てる,断ずる.? jahati の imper.2sg.;jaho:Leaving
・ buddha -a 語基 m. nom. buddho
・ khaṇati:? [Sk.khanati khan] 掘る,掘り出す.pp.khāta,khata.? [Sk.kṣaṇoti kṣan,kṣaṇ] 破壊す,害す,傷つける,尽くす.pp.khata.
・ vimutta:a.[vimuñcati の pp.Sk.vimukta] 解脱せる,解脱者.-atta 自ら解脱せる.-citta 解脱心.
・ savaṃ:suṇāti の ppr.sg.nom.
・ suṇāti,suṇoti: [Sk.śṛṇoti.< śru] 聞く,聴く. opt.suṇeyya,suṇe; imper.suṇa,suṇāhi,suṇohi,suṇātu,suṇāma,suṇoma,suṇotha,suṇantu; fut.sossati,sussaṁ,sossi; aor.assuṁ,assu,suṇi,assosi,assumha,assuttha,assosuṁ; inf.sotuṁ,suṇituṁ,sotave; ger.sutvā,sutvāna,suṇitvā,suṇiya; ppr.suṇanta,savaṁ; grd.savanīya,sotabba; pp.suta; pass.sūyati,suyyati; caus.sāveti,suṇāpeti
・ abhiññāya:[abs. of abhijānāti] having understood well.
・ ka:pron.interr.[Sk.kaḥ] m.ko f.kā n.kiṃ 變化表:sg.m.nom.ko,sg.n.nom.kiṃ,sg.f.nom.kā,sg.m.f.acc.kaṃ,sg.n.acc.kiṃ,sg.m.n.instr.kena,sg.f.instr.kāya,sg.m.abl.kasmā,sg.n.abl.kamhā,sg.f.abl.kāya,sg.m.dat.gen.kassa,sg.n.dat.gen.kissa,sg.f.dat.gen.kassā,kāya,sg.m.loc.kasmiṃ,sg.n.loc.kamhi,kismiṃ,sg.f.loc.kassā,kassaṃ,kāyaṃ,pl.nom.acc.m.ke,pl.nom.acc.n.kāni,pl.nom.acc.f.kā,kāyo,pl.instr.abl.m.n.kehi,pl.instr.abl.f.kāhi,pl.dat.gen.m.kesaṃ,pl.dat.gen.n.kesānaṃ,pl.dat.gen.f.kāsaṃ,kāsānaṃ,pl.loc.m.n.kesu,pl.loc.f.kāsu.katama,katara 何れの,koci m.誰か,kāci f.,kiñci n.何か [この變化はkaに準ず] kadā 何時.kattha 何處で.kathā Jいか樣に.kaha 幾日.kahaṃ 何處に.
・ uddisati:[ud-disati] 指摘す,指定す,説戒す,誦説す [布薩に] fut.uddisissati; aor.uddisi; ger.uddissa; pp.uddiṭṭha; pass.uddissati,uddissiyati; caus.uddisāpeti 説戒せしむ.
・ -eyya 1.ger. stem; labheyya, laddheyya 得るべき 2. opt. 3sg. kareyya, kubbeyya 作すべし



MN(Majjhima Nikaya ) 26 PTS: M i 160

Ariyapariyesana Sutta: The Noble Search
translated from the Pali by
Thanissaro Bhikkhu
© 2004
http://www.accesstoinsight.org/tipitaka/mn/mn.026.than.html
'All-vanquishing,
all-knowing am I,
with regard to all things,
unadhering.
All-abandoning,
released in the ending of craving:
having fully known on my own,
to whom should I point as my teacher? [4]

I have no teacher,
and one like me can't be found.
In the world with its devas,
I have no counterpart.

For I am an arahant in the world;
I, the unexcelled teacher.
I, alone, am rightly self-awakened.
Cooled am I, unbound.

To set rolling the wheel of Dhamma
I go to the city of Kasi.
In a world become blind,
I beat the drum of the Deathless.'