あいまいさからのエクソダス(1)
〔または 両義性の岐路に立っての選択 / 多義の系の中からの出発 / 共同主観の共同観念に対する主導性 / 《あいまいさ》の中の〈はっきりしたところ〉と〈あいまいなところ〉と / あいまいさの美学〕
――大岡信『日本古典詩人論のための序章――万葉集の見方について』(1960)に触れて――
《万葉集の見方》 ひいては 一般に詩の読み方(したがって 詩人がその認識を踏まえるときには 同時に 詩作論でもある)について 近代の一詩人・島木赤彦の所論を分析することによって 大岡は自分の考えを述べようとしている。
その結論は 次に引用する箇所が 要約しているようである。
ぼくらはむしろ かれら(万葉詩人たち)の遊びが実際に 集団的基盤において生まれ 守られていたことや かれらが倫理的な徳目から完全に自由な場所で その後の日本の伝統詩がついに強力にうけつぐことのできなかった 言葉だけで形造られる世界をきずきあげ得ていたことを確認した方がいい。
大岡がいかにして 島木赤彦を通過してこの地点に到達するに至るか これは この小論の上の結論以上に 面白く論じられてもいる。この点を先にかえりみたい。
そこには 二つの重要点が見出される。
端的に言って 大岡の側の赤彦への接近と乖離とである。ここで大岡の論述の原文じたいを詳しく見ることはしないが この接近(A)と乖離(B)とは 次の二つの文章に典型的なかたちで現われていると見てよい。
(A)
かれ(赤彦)のリアリズム すなわち写生は 《物心相触れた状態の核心を 歌い現す》ことにあった。
その時 主観は主客分離の状態においてではなく 客観と《相触れた状態》において表現化され 具体化されるはずであり 同時に(* この《同時に》に傍点あり)その時こそ 短歌は一点の単純所に澄み入ることができるはずであった。
そして その時《抽象的言語が具体感によって特殊化される》はずであった。結局 赤彦のリアリズムは そのままの形で 象徴主義に通じていたのだ。・・・
* (途中での注釈) ここで 《象徴主義ないしサンボリスム》は 近代
人・現代市民の詩観の中心的な一思想であることは言うまでもない。また
すでに A.ランボーらのいくらかの詩編がある。ちなみに 大岡じしんは
たとえば次のような評論を述べている。
たとえばぼくは 両者(短歌と現代詩)の隔絶の一つの原因が サン
ボリズムを通過したかしないかという点に求められうると思っている。
(《新しい短歌の問題 ?》1956―『抒情の批判』1961所収)
(B)
しかし こうした理論(* つまりAで分析した《写生即象徴という風に展開できる理論》のこと)は 万葉集の雑多で多様で重層的な世界を極端に限定し 規定する結果を生んだのではなかろうか。
一点の単純所に澄み入る[・・・]という要請が達成されたかどうかを判断する主観は 一体どこに位置しているのかという問題がただちに生じてくるはずだからだ。もちろん 赤彦の考え方からすれば それを判断する主観自体 すでに主客相接の状態にあるという答しかあり得ない。
しかし 主客相接・物心相触れた状態といえば まことしやかだが その状態で洞察する対自としての主観を含めて考える限り 主観は 常に客観の方へ吸い寄せられ 遁走しようとしているといわねばならぬ。ここに生じる緊張状態を解決するものは何か。
それこそ鍛錬道という徳目である。鍛錬によってのみ 主客相接の状態 その感動的状態の真偽は測られるであろう。[・・・]
つまり 赤彦のリアリズムは 象徴主義をさらに突き抜けて 倫理にまで到達するのである。
* (注釈) このように述べきたった大岡の言う《赤彦のリアリズム》は
すでに大岡信その人のものであろう。すなわち 赤彦からの発展ないし乖離
を表わすものである。
このAとBとにおいて大岡は 或る一つの両義性と相対し みごとにその接触と乖離を綜合しようとしている。言いかえれば あいまいさの中からの取捨選択を果たしていると まづ言える。
長々と引用したのは このことが のちのちの議論のためにも重要な事柄を含むと思われたからであり ここでは 両義性の問題が その内容として さらに二つの段階に分かれることをも指摘することができる。
すなわち 初めの(A)の《接近》の次元では 短歌(ないし和歌)と現代詩の両義性(区別)の問題に そして次に(B)の《乖離》の次元では 要するに 詩の表現を対象としまた媒介ともして 広く倫理か非倫理かの両義性の問題に それぞれ直面していると考えられるからである。
あるいはまた それら過去からの歴史の全体として 《多義の系》――つまり 殊に日本社会の現実そのもののことであるが――のあいまいさ この問題にも突き当たっているというものであろう。言うまでもなくこれは 現代市民の・殊に日本人としてのその存在のあり方を確かにつかまんがための問題である。
――(A)の《主客相接》の両義性ないし あいまいさの問題――
つまりここでは 現代の世界においてすでに 詩人たる大岡信じしんは 象徴主義を採るか否かに直面していると言える問題でもある。
赤彦から引用された言葉を用いれば 《一点の単純所に澄み入》って 《抽象的言語が 具体感によって特殊化される》ような方法 これを採るかどうかである。
また 《抽象的言語》とは われわれの言葉で 言うまでもなく《ひかり ないし 普遍アマテラス語》であり 《具体感》とは同じく《スサノヲ人間語》あるいは要するに《必ずしもひかりではないもの つまり 前(プロト)アマテラス客観語とも言えるような言葉遣い》のことである。
そしてここでは 《象徴》とは 言うまでもなくスサノヲ者市民生活の象徴であり 仮象的なひかりとしてのアマテラシテ Amatérasité のことである。
これらは 大岡その人に即してみれば 彼が歌人であったその父の影響下にみづからも歌を作ることによってまづ詩人の道を歩み始めたことと無関係ではないであろう。
この第一段階では そのまま明らかなように またかれ自身 短歌を作る道を捨てて近代詩を摂ったその後の事実が示すように 赤彦の側にあって――つまりなおいまだ 歌人・赤彦の側にあって――しかも現代詩の いま言ってしまえば象徴主義を摂ろうということである。そのことが 言わば予表されており またそれは 予表されるというに過ぎない段階というものであろう。
(つづく)