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哲学いろいろ

あいまいさからのエクソダス(2)

〔または 両義性の岐路に立っての選択 / 多義の系の中からの出発 / 共同主観の共同観念に対する主導性 / 《あいまいさ》の中の〈はっきりしたところ〉と〈あいまいなところ〉と / あいまいさの美学〕
 ――大岡信『日本古典詩人論のための序章――万葉集の見方について』(1960)に触れて――


 (B)の次元に移るなら かれは 表面上 倫理か没倫理かの両義性の問題を扱い 同時に すでに予表された現代詩のサンボリスムを明確に採るということ。したがって 赤彦ないし短歌の象徴主義からの訣別を 宣言した恰好である。


 いま一度言いかえるなら 短歌の象徴主義は そこで――赤彦の説くように――倫理を問うかたちではありながら その倫理は 社会のより大きな何ものか(つまり 多義の系)に埋没する要素が致命的に大きいとすでに 説き及んでいるのである。そのような短歌の象徴主義は サンボリスムという用語よりも アマテラシスム amatérasisme といった表現であらわすとよい。


 このような二つの次元の問題を 全体としてさらに要約するならば 大岡は 一般に《あいまいさ》を問題にするごとく 倫理の立ち場をもって詩論を展開しようとしている。そしてこの倫理が 《つきあい》の問題であるからには 市民生活( la société susanowoïste ないし intersusanowoïsme )とそこに歴史必然的に現われるであろう象徴( amatétasité アマテラシテ)との両義であり そのあいまいな関係である。要は スサノヲ人間語とアマテラス客観語との按配であり スサノヲ市民とアマテラス公民との関係である。このような綜合的にして 両者の存在するそのつきあいの関係を問題としていると言うことができる。


 したがって これがすでに 人が 詩や歌を作るか否かとにかかわらず 直面している現代市民にとっての問題である。あるいは 非問題であるという人がいるかも知れない。そして そのような議論の互いに入り組む情況であることは 明白であろう。




 (A)から(B)への過程において 短歌の象徴主義を排するに至る考え方を 大岡は次のように述べている。 


    * これを なお明らかにしておくことは たとえば桑原武夫の《第二芸
     術論》の焼き直しにのみは終わらないと言えるだろう。


 短歌のアマテラシスムの立ち場が 赤彦の経験の示すように 《一向に面白おかしくない》作品に行き着くであろうとして明らかに大岡がそれを捨てた理由は 次の点である。すなわち 結論だけを取り上げるなら 大岡は 赤彦の――円熟しきったと言われる晩年の赤彦の――歌を掲げながら そこには


   万葉詩人たちのあの大らかさ・それこそ物心相触れた状態の所産であるあれ
  ら血肉の感に満ちた力強さ


がないと断言することによってである。(この点 桑原の所論と内容を異にすると思われる)。つまり 別の表現においては (A)の第一段階の次元からのみ見た場合の そこに獲ち得られた象徴主義の美学も 倫理学と相通じ同じ次元のものとなってしまっては 赤彦の例のように


   古今集以後の勅撰集において堕落の主要素のひとつだとして 軽薄な主観語
  の使用などを警戒し 抑圧するあの歌の柄が 総体に萎縮してしまう


からだと言う。(この点は 桑原説に通じる)。
 ここで もう少し この倫理と没倫理――言いかえると あたかも互いの《突き合い》とそして《ただくっ付き合うという意味での 付き合い》―― この両義性の問題について見ておくならば 大岡は 赤彦について次の文章を引いて 赤彦のは 《被抑圧者の論理》でありそこでは 《対立的観念の解消》した《〈堕順〉の心》しか成立し得ないと説く。



  精神を絶対に一方に集中する心が 犠牲の心になるのであります。犠牲とは
  心が一方に集中するゆゑに 一切のものを擲って 或る物に突入せねば満足出
  来ない心の状態であります。
   (島木赤彦:『万葉集の系統』〔講演〕)


  * このように言ったあと 赤彦は 《武士道 / 男伊達 / 盗賊道 / 掏児道》
  といった《日本の国民性》について触れている。


  * なお これを《被抑圧者の論理》として否定しようとする心は その説じ
  たいは 江藤淳に顕著に見られる。だが 江藤は それ以上進まない。江藤は
   そう言ったあと 市民スサノヲ者・S圏のつきあいを超えて そこからアマ
  アガリして抜け出すがごとく 別の象徴主義の道を発見する。すなわち S圏
  =ヤシロの上なるスーパーヤシロ=A圏のその流儀での《つきあい》としての
  象徴である。われわれは この江藤の立ち場をここでかすめて なお大岡の所
  説を追うであろう。


 このようにして大岡は 象徴主義は基本的にまづこれを摂り しかも短歌の象徴主義はこれを排し 言いかえれば アマテラシスムの倫理(倫理化)を排し 《主観語》=スサノヲ語の倫理つまり 《自然・第一次のつきあい》の形式に還帰・到達しようとするべく 赤彦を突き抜けて (B)の段階へと自己をみちびく。


  * なお桑原は この(B)の段階ないしそれに相当する何らかの立ち場を 
  すでに初めに 所与のものとして 前提してしまっていると思われる。たとえ
  ば 近代市民の十全な合理主義を 前提にしているようである。


 そうして大岡は この(B)の段階に至って その全体を見わたし いわばやはり《多義の系》を見出し しかも この多義(つまり 両義性の錯綜連関)は 実は もともとかれ自身の中に・またはその社会に存在していたものである。(ちなみに 多義の系は 江藤のばあい いわば所与のもののようである)。そうだとして(・・・存在していたものだとして) この系を言わば一対づつ組みとなった両義性の多様で重層的な構造として捉え これらの両義性の問題について そのそれぞれの分岐点に立って 《主観語》を・または自己を 選択・取捨してゆくのだ。


  * いま 全体の観点に立った大岡の理論への認識は すでに与えられたもの
  として この論述を進めるなら 次のようである。なぜならそれは 言わば過
  去としてのわれわれ自身の問題なのであり 過去を過去として捉えることも 
  出発にあたっての最重要の知解作業に属すると言える。そこで 次にいくらか
  を。

(つづく)