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哲学いろいろ

創作活動とモチベーション

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie


 意識していることとしては まづ 先駆者の作品の中で 自分に合ったものを見つけ その完成度を初めは目指すということ。これが 好きという推進力のほかには 大きいのではないでしょうか。(重なってもいますが)。

 先人は ひとりとは限らないわけで いくらかの人の作品からインスピレーションを受ける場合もあるはずです。

 あるいはどうも嫌いだという先人からも 意外と何らかのかたちで触発を受けることもあるはずだと思います。






 そうこうして試作しているあいだに分かってくることは はじめは意識に上っていなかったのですが やはり自己表現という主題であるはずです。

 自己を――自己の内面なるものすべてを――表現し切れているか? といった問いとその問い求めとを持つようになると思います。
 
 つまりあるいは 自己をうまく表現し得ているか? という課題です。



 この課題を持ったなら 試作〔の段階では 何度も同じ作品にかかわって こうぢゃない ああでもないと 数回から二三十回の試作〕を おこなうに到るのではないでしょうか。






 ですから
 ★ 創作活動のモチベーション・・・はどこから来ますか?
 ☆ 先人の作品の良さに触発されて 見よう見まねでこころみようとする気持ちからでしょうね。


 ★ 尚創作活動にむかえるようになるモチベーションはどうすれば沸いてくるでしょうか?
 ☆ 創作とは いくら先達の作品を目指すと言っても やはりおのれの持つチカラとセンスをどう出し尽くすかにかかっている。つまり あとは どこまで行っても 自己表現という主題になると思われます。

 そこには どう表わすかの問題意識が芽生えています。すでに持っています。

 これで 創作を続けなかったなら 好きではなかったのでしょうし 自分にはその活動は向いていなかったということだと思います。




 この自己表現なる主題は 一般には言葉で理解できるような思想においてその成果が現わされると思います。

 その思想は 言葉によるほかに 音楽でも絵画でも 文学や芸術そしてスポーツといったいろんな分野でも表現されるということだと考えます。
 
 (文学は 言葉によるものですが その作品のひとまとまりを通して 結果として思想を表わしているかたちです。
 言いかえると 直接には思想を表わしていません。
 作品の中で 部分的に或る程度まとまって思想そのものを著わすという場合もあり得ますが おそらくその論文が完成しているとは限らないものと思われます)。





 その自己表現つまりそれは 作者の主観内容のことにほかならないわけですが このように表現された主観内容が ほかの人たちから迎え入れられるなら 共同の主観となって行きます。共同主観なる思想。共通感覚を持ち得たといった経験。あるいは これが 常識の一部になる。といったことです。



44:ヨハネによる福音書/ 12章 44節
エスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。
口語訳
45:ヨハネによる福音書/ 12章 45節
わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。

1:ヨハネによる福音書/ 05章 19節
そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。
口語訳
12:ヨハネによる福音書/ 05章 20節
父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。


:ヨハネによる福音書/ 10章 30節
わたしと父とは一つである。」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140507-00000004-rcdc-cn


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140506-00000030-rcdc-cn