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哲学いろいろ

大野晋:ツ・ヌ・タリ・・・

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie

▼(大野晋:ツ・ヌ・タリ・・・) 〜〜〜〜
 ツ・ヌは動作・作用・状態の完了を表現し リ・タリは進行・持続を明示するのが本来の役割であった。これは 動作が完了したか 継続しているかについてだけ表現するのであって 過去についても現在についても 未来についても使うことができる。
 つまり過去・現在・未来という 時の経過の過ぎ去った時点 あるいは現在という時点 あるいは未来という時点のうちの一つとして捉える時の認識とは別の認識の仕方を表わすものである。

 (これを 文法学者によっては アスペクトの助動詞といっている。アスペクトはテンス(時制 過去・現在・未来)とは別の範疇に属する認識の仕方で 動作の開始 継続・完了という点に注意した把握の仕方をいう)。

 【ツ・ヌ】
  動詞および助動詞の連用形を承ける。ともに動作・作用・状態の完了を示すことが本来の役割で ツとヌとは 古くはそれぞれが承ける助動詞や動詞に相違があった。
 まづ ス・サス・シムを承けるのはすべてツであり ル・ラルを承けるのはすべてヌであった。
 また万葉集源氏物語で ツとヌとが承ける動詞を見ると 次の相違がある。

  ツだけが承ける動詞の例

   かざす 散らす 召す 成す 見す 返す 過ぐす 見る 聞く 嘆く
   かぬ(不能の意) 結ぶ 告ぐ 定む 告(の)る 治む 植う 刈る
   取る 宣ふ 飲む 結(ゆ)ふ 率寝(ゐぬ) 挙ぐ 失ふ 置く
    (以上 万葉集
  
   言ふ 明かす 死なす 渡す 返す 隠す 暮す (源氏物語


  ヌだけが承ける動詞の例

   成る 経(ふ) 過ぐ 更(ふ)く 移らふ 散る 色づく 咲く 絶ゆ
   吹く (霧・霜が)置く 消(く) 乾(ふ) 生(お)ふ 恋ふ 立つ
   別る 隠る 濡る 知る 恋ひ渡る 寄る 逢ふ 坐(いま)す 近づく
   憤る 帰る 入る  (以上 万葉集

   成る 老ゆ 過ぐ 亡(う)す 帰る まさる 経(ふ) 更く 生る
   かくる 忘る 染(し)む しづまる 絶ゆ (源氏)

 この例を見れば ツが他動詞 つまり作為的・人為的な意味を持つ動詞を承け ヌが自動詞 つまり自然推移的・無作為的な意味を持つ動詞を承ける傾向のあることが明らかである。

 [語源と意味]
  ツとヌとの語源を考えると ツとヌとは それぞれ動詞の棄(う)つ・去(い)ぬと 活用が同一である。また 意味的にも 棄つと去ぬとに根本的な共通性を保っているから 棄つからツ 去ぬからヌが転成したことが推定される。
 つまり 物を意志的に眼前にほうり出してしまう意の棄つのはじめの母音 u を脱落したツは 作為的・人為的な動作を示す動詞や 使役の助動詞ス・サスの下について すでに動作をしてしまったという完了の意を示す。
 一方 眼前にいたものがいつの間にかどこかへ去って見えなくなる意の去ぬのはじめの母音 i を脱落したヌは 無作為的・自然推移的な作用・動作を示す動詞や助動詞ル・ラルの下について すでに動作・作用が成り立ってしまったという完了の意を示すのである。

  ・妹を思ひ眠(い)のねらえぬに秋の野にさ男鹿鳴きツ 妻思ひかねて
    (万葉集 3678)
  ・今よりは秋づきぬらし あしひきの山松かげにひぐらし鳴きヌ(万3655)

 また奈良時代にはアリを承けるのはツで 平安時代に入っても形容詞連用形にアリのついて成立したカリ活用の形容詞を承けるのは 《いみじかりツル》のように多くツである。

  ・をとつ日も昨日もありツ(万4011)

 棄つという語は本来物をほうり出す意であるが 捨ててもその結果の物は眼前に在る意味を持ちうるに対し 去ぬは 消え去って見えなくなる意味が原義であるから 存続・存在を意味するアリを含む語をヌが承けることは 意味の上で矛盾をきたす。その結果アリを承けるにはヌを用いず ツを用いた。
 しかし平安時代に入ってツ・ヌの原義が忘れられ 完了の意が次第に薄れて来て ツ・ヌの表現するところが確認へと移るにつれて 動詞アリにもヌがつきうるようになり 源氏物語では動詞アリおよび這ひありから転じた侍りを承けるには ヌがツの二倍以上も使われるに至った。

 ツ・ヌは 動作・作用・状態が完了していることを示すのが本来の役目であったが 奈良時代から平安時代にかけて 《散らしテム》《よく見テマシを》《潮満ち来ナム》《散りヌベシ》などのように推量の助動詞と共に用いて 完了だけでなく確信・確認・堅い意志を表わすように用法が移って行った。

  ・いざ子ども早く大和へ大伴の御津の浜松待ち恋ひヌラム(万63)
  ・長谷(はつせ)の弓槻(ゆづき)が下に吾が隠せる妻 あかねさし
  照れる月夜に人見テムかも(万2353)

 そして中世になると ツもヌも次第に用いられなくなり 大勢はタリを多く用いる方向へ向かって行った。

 【リ・タリ】
 [意味]
  リもタリも存続・持続の意を示すのが本来の意味であった。しかし 動詞には 意味上 (1)時間的に持続・継続することがもともと当然であるものがある。例えば劣る・まさる・似る・止まる・思ふ・生ふのごときである。
 これに対して (2)時間的には 動作が瞬間的に一回づつ完結するものがある。例えば釣る・摘む・倒る・出だす・(歌を)詠む・生むのごときである。
 (1)をリ・タリが承けた場合は 《・・・している》の意で その状態のそのままの持続・存続の意を示すことが多く

   ・珠にぬくあふちを家に植ゑタラば(植えておいたら)山ほととぎす
   離(か)れず来むかも(万・3910)

 (2)をリ・タリが承けた場合には その動作が済んだ結果が 状態として存続している意を表わすことになる。
  
   ・花咲(ゑ)みににふぶに咲みて会はしタル(お会いした)今日をはじめて
    (万4116)

 このような場合のリはツとほとんど同じ意味を表わすことになり ツとリとを共存させる意味が薄くなる。その点からもリの使用は次第に衰えるに至った。

  (古語辞典・基本助動詞解説)
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