神の普遍性
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie
神は ひとつである。
神は 全体として――如何なる名前であろうと また無い神であろうと――みな互いに同等にして ひとつである。
この普遍性なる神に開かれよとイエスは言ったのみ。開かれるというのは 自分のいだく神よりほかの神に対しても 心を閉じない・心が閉ざされていないことを言います。
これが 神と信仰および〔虚偽としての〕宗教にかんする一般理論です。
宗教とは 信仰内容としてのヒラメキ=観想を言葉にして表現し これをオシエとしたものです。
内面における――非思考の庭としての――生きた信仰が 言わば蝉の抜け殻として外化した思考とその体系 これが 宗教のオシエです。
また そのような外形化した信仰にもとづき――ということは 人間が勝手にその深浅を測って順序づけたということですが その――権威ないし権限の階層秩序を みづからの組織とした。
この組織の中にあっては あたかも信教および良心の自由が脅かされる事態が そのヒエラルキアなる締めつけにおいて つねに起こりがちである。
★ キリスト教部外者
☆ は もしこの組織宗教に入っていなければ・またそのオシエに依存するのでなければ 普遍神のもとにあると見る神と信仰についての理論です。
イエスは オシエは要らないとオシエをもって語ったのです。
キリストのキの字も要らないと語ったのです。
神なる言葉もその定義もまたそれについての説明もすべては 神そのものではなく神を指し示すための補助線であるに過ぎないという理論をのこしたのが イエス・キリストです。