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哲学いろいろ

ハヤトロギア

ハヤトロギア

 物語は ふたつの層に分かれると言う。
 実際に描写された出来事としての文学的な筋と中身の層があるのは あたりまえであり しかもその根底にこの文学的出来事を その意味をめぐってすでに解明しているような動態的基礎の層があると。
 後者を 《ハーヤー(存在)の物語的否定弁証法》と言うらしい。

ハーヤーの物語:宮本久雄

 ハーヤーの物語は 物語同一性の実体化・自同化の根源悪〔* 表現による認識とそして実際とを区別しえない言わば原理主義的な閉塞状態を言うか〕を差異化し語り直しうる力働性を秘めている・・・。

 そしてハーヤー存在は 物語創出において未来を先取りしそこから現在の(自己)の変革を呼びかける。それが例えば預言であり 預言者アブラハムモーセ)の物語である。

 ハーヤー・・・が物語的否定弁証法をどのように裏打ちするのか その存在論的な否定弁証法とはどのようなことであるのか・・・。

 ( a ) まづハーヤー存在は すべての存在者にとって贈与である。そのことは すべての存在者が本来的に自己差異化・脱自において他者とめぐり会う存在であるとも言いかえられる。

 ところが上述の贈与を破壊させる存在者の問題は 存在者(個から集団に至るまで)が 実体的自同性への固着( conatus esendi )へと逸脱するという点なのである。〔* これが先ほどの《物語同一性の実体化・自同化の根源悪》を生むと言おうとしているのか〕。

 例えば アドルノの言う神話から啓蒙という自己保存文明を作出する理性の反自然的働きもその悪業の一例とも言えよう。  ――(以上が――〔否定的弁証法における第一段階としての〕 実体的自同という正)


 ( b ) ハーヤーはすべての存在者の存在〔* 要するに 神か〕である限り この存在者の実体化にもかかわらず 差異化を働かせてやまない。差異化とは 均一化に統一された実体 つまり他者受容の間(ま)や空的場さえなき自同的存在内に 差異の断層や空間を創り間を拡大する作用である。

 従ってハーヤーは自同的存在者に空的場を創り そこに気・霊風を通し その気によって新しい声・言葉さらに身体的人格を創出し存在者に語らせると共に その空的場を他者歓待の場とする。

 これが 存在者の側からすると 自閉から他者受容への転回というふうな自己中心主義の炸裂であり 開放された存在に新生する生みの苦しみであり ケノーシス的出来事であり回心のカイロス(時)なのである。
 ――(以上が 第二段階としての 否定)。


 ( c ) このハーヤーによって再生した存在者は 自己と異なる他者と協働しつつ ハーヤーの体現に努める。

 それは人間社会や自然がハーヤーに満たされていくプロセスであり 具体的にはハーヤーに拠る倫理的であり身体的祝祭的な世界の現成なのである。

 ハーヤーの側からすれば それはハーヤーの差異化の持続であり世界的生起・歴史化なのであり それは未来が全的にハーヤーに充溢するまで止むことはない。
 ――(以上が 第三段階の他)。


 以上のような( a )〜( c )の否定弁証法に拠る思索と実践こそがハヤトロギアであり そのハーヤー的否定弁証法は 物語論弁証法の根底に伏在して働き 新しい開放された物語に受肉し ハーヤー的倫理世界の現成を働き出す力慟性を孕むのである。
 (大貫隆・宮本久雄・山本巍編著:『受難の意味 アブラハム・イエスパウロ』2006  pp.138−139)