caguirofie

哲学いろいろ

或る和解(4)

Schneewittchen 2012/08/15 21:36

そもそも、「被害もすべて自業自得ですか」という問いかけについて、私が「創発」の話を提出したことの意味も分かってないみたいだ。

これについてあらためて考えます。

 【Q:輪廻と業によれば 被害もすべて自業自得ですか】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3965802.html

ANo.59 noname002

『われわれ日本人は 互いに相手を神と思っているのでしょうか』
A:ええ、トイレットペーパーと思っている人もいるかもしれません
と投稿するのは、さすがにやめておきました(笑)冒頭から失礼、冗談は、さて置きまして
最初にお願い申し上げます。私は、こちらの質疑応答に御質問者様の完全な御満足が行くまで、お付き合いさし上げる余裕が各方面においてございません。かねてより、まことに精力旺盛な御反応ぶりに、些か気後れしておりましたこともあって、これまで御質問に参加することを躊躇っておりました。また、クリスチャンでいらっしゃるとの由、何ゆえ、こうまで異教徒の思想に拘っておられるのか、何のために、頻りと比較作業を繰り返されるのか不思議に思っておりました。
私自身は、私の罪を身代りに背負われてイエス様が十字架にかかられたと言われましても、余計なお世話である、という気持ちだけですし、実際キリスト教徒以外の者には関係ございませんのでは?
「異教徒でいらっしゃるのだから貴方に『自業自得』が及ぶ御心配など無用のはずではありませんか」で終わるところですが、そういうことではない、と仰るのでしたら今回の、この投稿に関しては、飽くまで御参考のための軽い一助に過ぎないものと思し召しのうえ御目通しいただけますよう御寛恕願い上げます。

俗に「正直者がバカを見る」というコトバがございますね。
善悪の報い、というものは正直者、「善人」なればこそ顕現するようにできているものかもしれません。なにしろ真底の「悪人」というものがあるならば、それこそ善悪の基準などというものには無縁でしょうから。

私自身は一応の仏教徒とは言え宗教全般に疎く、特別な関心もございませんが、「罪をなくすというより、苦しみをなくすことを主眼に置く」という仏教について本来は、生きている個々の人間にこそ優しい教えであるように感じております。「煩悩」というものに対する対処の仕方などには科学或いは心理学に共通した側面が感じ取れますし、そうしたことを考え合わせてみますと、いわく「自業自得」なるコトバが、煩悩に追い回される人間に更に追打ちをかけるためのものとは思えないのです。
確かに思い当たる原因が自分にないにもかかわらず理不尽を被ったところへ「自業自得」などと、まことしやかに口出しをされれば、それは、コトバの暴力、いやがうえにも憤りを募らせますが、ですから、これは、やはり、どなたかも御指摘されておられますように、他者に向かって口に出すためのコトバではなく、自虐のためのコトバでもなく、被害をもたらした者への激しい怒り等のために肝腎の我が身の心身や立場を損ねないための、「呪い」などではなく、むしろ被害者側を「守る」ためのコトバと捉えることも可能かと受け止めております。本人が、そのように捉えることで落ち着くならばですが。

原因あってこそ結果。これはヒトが最も安心を感じ、求めてやまない論理です。御質問者様はじめ一般に男性諸氏には特に顕著な、この傾向があるように見受けております。
原因など全く無くして理不尽を被る。これは実は原因があってのことよりも辛いことではありますまいか。哲学は勿論のこと諸科学の発展の動機の一つが、ここにあるであろうと察しております。
私は近頃、およそ権威的なものに対する幻滅感が少々募っておりますので、書物や専門家といったものに当たったわけでなく飽くまで自分一個の勝手な見方をしているに過ぎませんけれど。

ただ、一般的には、「今生」で起きたことは「今生」のうちにて、おおよそのところヒトにも察しがつく程度のことが殆どのようにも思います。全く本来、自分に与り知らぬことで甚大な被害を被ったというようなことは、さすがに、めったにないことです。だからこそ大概の人が、「自業自得」と聞いて自分には全く無縁のこと、と捨ておけない気分にもなるのでしょう。

所詮、我らが凡夫、「深遠な究極の法則」のことともなりますと、少なくとも現時点では明らかに確かめる術を持ちません。
思えば不思議なことだらけです。
たとえば引力の法則ですとか、ごくありふれた因果関係にしたって、結局のところ、そういうふうにできている、としか申せません。
「理不尽」「不条理」「善」「悪」これらは飽くまでヒトの価値判断によるコトバですし。。。「自業自得」というコトバに何らか価値判断の意味を持たせているのも、本当は無用なことなのかもしれません。
とは言え実際、自分が「理不尽」を他者に及ぼす側になるのと被る側になるのと、どちらがマシか?と自問してみますと…複雑ですね。及ぼす側にまわるほうが、もっと情けない気もします。

知っているために、かえって手も足も出せない理由になり得ますし、知らないから、あらゆる学問や技術を追究してやまなかった。
人間は、知らないことで或いは「憶えて」いないことで、かえって救われていることもあるんじゃなかろうかと思います。
あ、「知らぬが仏」というコトバもありましたね(笑)

下記URLはWikipedia創発
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E7%99%BA
                         

投稿日時 - 2008-05-07 11:41:33

補足 noname#80116( bragelonne )

 noname002さん ご回答をありがとうございます。まさかnoname002さんが わたしの質問に回答なさるとは思いも寄りませんでした。せっかくですから しっかりとお応えしてまいります。

 かんたんな場合には くどい説明を省いても分かると思います。
 ☆ 神が 自分勝手に 十字架上に登って 死に就いたのです。そうでなければ 神と言えません。
 →《Q:イエスの救いの本質は= http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3912520.html 》その ANo.10に書いたものです。
 ほかに 《身代わりの〈いけにえ〉としてではない》とも論じています。No.3&6&10&12&14がわたしの回答ですが ほかの方の回答内容もからんでいるので 長いですが 参照されるとよいでしょう。

 ☆ 岩井克人は 《日本人の世界宗教性のなさ》を指摘し 《日本人〔は〕世界的な意味でコミュニケーションを拒否している》と言います。そういう場合は 《人間以前である》と表現しています。
 →《Q:日本人は 人間ではないでしょうか= http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3893969.html 》その質問趣旨の中。

 ★ 創発 の問題
 《セル・オートマトンライフゲーム――非常に少ない要素数・層数ですら創発が起きる例》にかんして 
 ▼ 大切なことは、要素(ここでは黒点)がわずか数十個存在するだけでも創発が起きている、ということである。
 ☆ と言っていますが これは 《誕生・維持・死亡》という《3つの単純なルールだけで作動している》からではないですか。
 つまり 《身に覚えのない事柄 あるいは 部分的にしか知りえていない因果関係にかかわる事柄》 これらが 現実に起こり得るというのは 《ルールがあるのに それに反すると受け取らざるを得ないかたちで 起こる》という事例です。この創発の例は 《ルールがあり ルールどおりに 現象している》場合ではないですか。

 * あとは 補足要請に応じていただける余裕が出来たとおっしゃった時に くわしくご返事をさしあげることにしましょう。
 ですが だいたいは これまで寄せていただいたご回答とそれをめぐるやり取りで 触れているとも思います。
 ★ 《「理不尽」を他者に及ぼす側になる》よりは 《被る側》になるほうが まだ ましである(要約)
 ☆ これは 新しい見解であるでしょう。ただ わたしは このような言葉で 被害者やその遺族をなぐさめる勇気はありません。
投稿日時 - 2008-05-07 13:42:38

ANo.61 noname002

御返事、拝見致しました。
私のネームに御心当たりがおありのごようすに少し驚いております。
さてさて、やはり…という印象の構えを早くもとっていらっしゃるように見受け、内心ちょっと後悔しております(笑)
先の投稿でも御理解願いましたように、御質問者様のお気が済むまで、お相手させていただくことは私にはできかねますことを、と言いますよりも、このサイトでの私の過去の経験上、特定のかたとの度重なる遣り取りは深く自分に戒めております。
議論や雑談のための場ではなくQ&Aのサイトですから、本来それくらいが妥当でしょう。

そこで、世間一般に流布しておりますところのイエス様が十字架にかかられた話題など持ち出しまして、ウッカリしていたことを悔やみました。
質問者様御自身の御考えを、この場で簡単にまとめていただくわけにもまいらなかったようで、リンク先を御紹介くださいましたが、全てに目を通しているゆとりはございません。とりあえず『Q:イエスの救いの本質は』から覗いて見ましたが、皆様各自に御考えや解釈がおありのようで、なるほど確かに、なかには全く正反対の御意見も並んでおりますね、とにかく御質問者様の御回答だけは拝読致しましたものの、どうも最初からご同好の士どうし、わきまえておられるかたどうしでなければ無理があると感じられるような御文章で、スンナリとは入って来ないこともあり、いずれにしても「さようでございますか」以上のことは申し上げられません。
次の『Q:日本人は 人間ではないでしょうか』ですが、これは御質問の本文だけ。ですので岩井氏仰るところの
世界宗教性」
「日本人が世界的な意味でコミュニケーションを拒否」
「人間は偽善者であるほかはないと言われたんですが その場合の人間とは 世界と言語を使ってコミュニケーションする意図を持つ人間という意味なんですね。そういう意図をもたない人間は ある意味で人間以前の存在」
いずれも具体性に欠け、この部分だけでは私には、よく分かりません。コミュニケーションの重要性は、仮にも社会的人間にとって死活問題に等しきものだとは思います。実際の各場面でのコミュニケーションにおけるレベルとか格差もあって、それ自体コミュニケーションのあり様の一端ですし、そのレベルや格差ごとにも、やはり基本的な誠実さは要請されるはずと思います。
また、高度情報化社会、インターネットの時代に入り、コミュニケーションのあり方が、質、量共に、これまでのあり方では通用しない激しい変化のなかで模索は続いていくことでしょう、過渡期ではあると思いますが、これまでと変わらない変えられない、これなしで成り立たない基本のものは残っていくだろうと思います。
たくさん御回答が集まって、すでに締め切られている質問ですから、これはこのくらいにしておきます。

セル・オートマトンライフゲーム
>これは 《誕生・維持・死亡》という《3つの単純なルールだけで作動している》からではないですか。
>つまり 《身に覚えのない事柄 あるいは 部分的にしか知りえていない因果関係にかかわる事柄》 これらが 現実に起こり得るというのは 《ルールがあるのに それに反すると受け取らざるを得ないかたちで 起こる》という事例です。この創発の例は 《ルールがあり ルールどおりに 現象している》場合ではないですか。

「ルール」とは何のことを指しておられるのでしょうか。
創発(そうはつ、emergence)とは、
部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることである。局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。」
とあります。或いは
創発とは、
多くの要因や多様な主体が絡まり、つながりながら、相互に影響しあっているうちに、ある時にエネルギーの向き方が一定方向にそろって、当初は思いもよらなかった結果がポンと現出することである。」(大日本印刷
という説明もあります。

>★ 《「理不尽」を他者に及ぼす側になる》よりは 《被る側》になるほうが まだ ましである(要約)
 ☆ これは 新しい見解であるでしょう。

私は、別段「新しい見解」とは思いません。私自身のオリジナルな見解でもない。
私は先の投稿で
「自業自得」などと、他者に向かって口に出すためのコトバではなく
と申し上げました。

>わたしは このような言葉で 被害者やその遺族をなぐさめる勇気はありません。

貴方の勇気に関しては貴方サイドのことですが
私は、このようなコトバで「被害者やその遺族をなぐさめる」とは申しておりません。

>ましである(要約)

「どちらがマシか?と自問してみますと…複雑ですね。及ぼす側にまわるほうが、もっと情けない気もします。」
です。他人の意見を「要約」するときは慎重に願います。

一応、仏教の作法に則って法事ごとを行う程度の一市民が「自業自得」ということについての飽くまでも参考意見として述べたサンプルの一つくらいに、お受け取りください。
断言などできるテーマでもございませんので。
                    

投稿日時 - 2008-05-08 01:40:29

補足noname#80116( bragelonne )

 ★ 議論や雑談のための場ではなくQ&Aのサイトですから、本来それくらいが妥当でしょう。
 ☆ 何度も同じ人とやり取りするのは 《議論や雑談のため》であるとの含みのうたがいが 拭い切れないでしょう。舌足らずだとご指摘申し上げます。
 すべては 答えを模索してのものです。《特定のかたとの度重なる遣り取り》を経ながら わたしたちはなお探究の途上にあることをも了解しつつ一区切りを打つというかたちで そのご回答内容を詳しく明らかに知ることができ その成果を共有しえたというところでもあります。哲学の性質じょう 問いはなお尽きませんが そういう場が ここでありますので そこのところを どうぞ 見きわめてくださるよう願っておきます。もし万が一 雑談のたぐいが疑われる文章がありましたら その理由をも添えてご指摘ください。お応えしてまいります。
 わたしたちは ひまを持て余して この質疑応答をしているわけではありません。ほかのみなさんの名誉のためにも この点を重ねてお伝えしておきます。わたしの趣味の問題としては 中途半端が いちばんきらいです。あきらかにすべきことは 明らかにすべきなのです。明らかにならなくとも そのこと自体を コミュニケーションにおいては 共有すべきなのです。これを 途中で放棄することは 人間ではないと認識しています。つまり すでに そういうふうに見なしておりますので それでも よろしければ どうぞご回答をお寄せください。

 ★ 私自身は、私の罪を身代りに背負われてイエス様が十字架にかかられたと言われましても、余計なお世話である、という気持ちだけですし、実際キリスト教徒以外の者には関係ございませんのでは?
 ☆ あなたには わたしがどんな信仰を抱こうと かかわりがありません。ということを伝えただけです。
 ★ 何ゆえ、こうまで異教徒の思想に拘っておられるのか、何のために、頻りと比較作業を繰り返されるのか
 ☆ 人間だからです。あなたのように人間ではないという状態にはいないからです。コミュニケーションとは そういうものです。いやしくも哲学の話をしていて こんなむなしいことを言わなければならないとは。
 
 あとは ANo.59の内容から新しく進んではいないと判断しました。
投稿日時 - 2008-05-08 09:08:31

ANo.62 noname002

眠気をこらえながら2回目を投稿しましたものの、いったん床に就いてしまってから「ん?まてよ」と起き直して確認しましたら。。。
ぁあ、やはりヘンでした。
以下の箇所です。

セル・オートマトンライフゲーム
>これは 《誕生・維持・死亡》という《3つの単純なルールだけで作動している》からではないですか。
>つまり 《身に覚えのない事柄 あるいは 部分的にしか知りえていない因果関係にかかわる事柄》 これらが 現実に起こり得るというのは 《ルールがあるのに それに反すると受け取らざるを得ないかたちで 起こる》という事例です。この創発の例は 《ルールがあり ルールどおりに 現象している》場合ではないですか。

>>「ルール」とは何のことを指しておられるのでしょうか。

「3つの単純なルール」つまり、ご紹介したウィキのページの下側にある枠のなかの「誕生・維持・死亡」のことを指すのでしたね。ついページ最上部の本文のほうに目が向いておりました。

そうですね私は、こうしたメカニズムの話が、ちょっとしたヒントにならないか、くらいの、ごく軽い気持だけでしたので、このように訊ねられますと、説明のコトバが、すぐ出てきませんでしたが、この「セル・オートマトン」、「非常に単純化されたモデルであるが、生命現象、結晶の成長、乱流といった複雑な自然現象を模した、驚くほどに豊かな結果を与えてくれる。」ということだそうです。要するに
>《ルールがあるのに それに反すると受け取らざるを得ないかたちで 起こる》という事例
即ち
>《身に覚えのない事柄 あるいは 部分的にしか知りえていない因果関係にかかわる事柄》 これらが 現実に起こり得るというのは
すでに 
>《ルールがあり ルールどおりに 現象している》
からに他なりません。
「部分の性質の単純な総和」「局所的な複数の相互作用」「個別の要素の振る舞い」こういったもののうえに「創発」が現出する、というのですね。まあ、「創発」という現象をイコールで「理不尽な被害」と呼ぶべき現象に結び付けてしまっていいものか自信はございませんが(笑)

念のため他の部分も見直してみましたら
>>イエス様が十字架にかかられた話題
については
>神が 自分勝手に 十字架上に登って 死に就いたのです。そうでなければ 神と言えません。
 ほかに 《身代わりの〈いけにえ〉としてではない》とも論じています。

というように、ごくごく簡単に述べておいででした。尤も省き過ぎで、これでは私には、やはりよく分かりませんが。。。まあ、なにしろ「神」だということで分かるような気もしますけれど。あとはNo.61のとおりになります。

>被害者やその遺族
>ほかの被害者
をなぐさめる場合というのは、そもそも想定しておりませんでしたから飽くまで自分に向けてのものでしかありません。
他者に対してコトバでは間に合わない場合もあります。そういうときは私はボディランゲージ。

また睡魔が目覚めました(笑)限界です。
もう一度、ちょっと寝なおします。
                

投稿日時 - 2008-05-08 06:12:09

noname#80116( bragelonne )

返答無し。(あるいは 削除されたのかも知れません)

ANo.66 noname002

リクツにすらなっていない。
他者の時間を食らい尽くさずにおかない飢餓。
餓鬼の言う「人間以前」とは、笑止千万!
自分の無明に付き合ってもらいたいがためには人を侮辱することも厭わない。それを「技術」の一種とカン違いしている誰かさんと同じレベル。
リクツも哲学も信仰も、あなたには永久に無縁でしょう。

投稿日時 - 2008-05-09 18:26:04

お礼 noname#80116( bragelonne )

 ★ 誰かさんと同じレベル
 ☆ この箇所を取り除くと 自己診断になるはづです。
投稿日時 - 2008-05-09 19:49:35

☆ どこかに見落としがあったのかなと思って 取り上げたのですが どうも 何もない。どうすればよいのか。
古傷をなめさせてしまうような再掲だったかも分かりませんが これ以上どう扱えばよいのかもただちには考え及びません。

 しばし熟考せねばなりません。時間をください。