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哲学いろいろ

《仮想的有能感》

仮想的有能感》という言葉が提唱されています。

 

速水敏彦:他人を見下す若者たち


 § 若者 負け組の《他者軽視》
  しかし 本書で筆者が最も明らかにしたいことは 現代の感情ややる気の変化の背後にある心性とでも言うべきものを突き止めることにある。
 現代の日本人は自由な社会を当たり前のこととして誰も彼もが横行闊歩しているように見える。その自由さは利己主義を強め 《ジコチュウ》という言葉も生まれた。これが高じれば 人は自分の立ち場ばかりを見て 他人の立ち場を見なくなる。つまり以前に比べて人々は他人を見下し 他者軽視・軽蔑をいとも簡単にするようになる。この他者との関係の捉え方が自分自身の捉え方にも影響を及ぼし さまざまな出来事の際に生じる感情ややる気のあり方そのものを規定するのではないか というのが筆者の仮説である。

 今 人と人との親密なつながりが失われつつある現実の中で 誰もが体面を保ち 個を主張して生きていくことが求められている。だが 少子化の影響で小さい頃から大切に育てられ 苦労をせず 楽しいこと 面白いことに浸ってきた若者にとって 見知らぬ社会を一人だけで歩いていくことは恐怖でもある。欲しいものを何でも買い与えられ 有りあまる時間を自分のためだけに使ってきた人たちが 厳しい現実の競争社会の中でまともに生きていくことは難しい課題である。

 しかし 実は彼らはそれを乗り越える術をいつのまにか修得してきたようにも見える。それは おそらく本人自身もあまり気づいていない無意識的なもので 個人主義文化を担った人たち さらには ITメディアの影響を受けた人たちがいつのまにか身につけた仮想的有能態とでも呼ぶべきものである。これは先ほど述べた他者軽視をする行動や認知に伴なって 瞬時に本人が感じる《自分は他人に比べてエライ 有能だ》という習慣的な感覚である。

 現代人は自分の体面を保つために 周囲の見知らぬ他者の能力や実力を いとも簡単に否定する。世間の連中はつまらない奴らだ とるに足らぬ奴らだという感覚をいつのまにか自分の身に染み込ませているように思われる。そのような他者軽視をすることで 彼らは自分への肯定感を獲得することが可能になる。一時的にせよ 自分に対する誇りを味わうことができる。

 このように若者を中心として 現代人の多くが他者を見下したり軽視したりすることで無意識的に自分の価値や能力に対する評価を保持したり 高めようとしているように思われる。しかし この仮想的有能感はやっかいな代物である。現実には 特に負け組になりそうな人々が生き抜くためには必須の所持品ではあるが 他者軽視をすることで 社会にさまざまな弊害を生じさせることが懸念されるからである。
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 (pp.5−7)