caguirofie

哲学いろいろ

言語と性差 #1

日本語の問題が置き去りでした。対話を続けたいですが、そうも行きません。

 1.男性が話す言葉
 2.男性が話しかけられる言葉
 3.男性について話す言葉

 この三つについて挙げました。そして、1.については手付かずではないかという点について書きました。ここでもう少し、1.について書いてみたいと思います。
 英語を話せるようになるために、語学学校へ通ったり留学したりというのがふつうの世の中になってきました。駅前留学という言葉もあるくらい。そんな経験をした者たちを注意深く見ていると、ある共通した傾向に驚かされます。それは、英語と日本語を比較して語る傾向が特に顕著でなかった人たちまでも、例外なく英 語文化に感化され、日本を内ではなく外から見て語る視点に馴染んでいるということです。「アメリカでは、云々」とか「アジアのなかでも日本は、云々」など、「アジア」などという言葉をいったいどこで覚えてきたのかという驚きとともに、彼らは間違いなく精神のうえで日本を離脱し、その外側から日本を省みている視点に立 っています。

 ヘーゲルに従って言えば、英語が自己意識化されているということでしょうか。
 この傾向について、これまでは「それって英語に夢中だからでしょ?」と言って、簡単に済まされてきたように思いますが、1.について考えるとき、果たしてそう簡単に言い切ってしまって良いのだろうかという疑問を持ちました。
 僕らは日常的に語る言葉のほとんどすべてを、他者の言葉に委ねられている。だとすれば、「英語で語る」ということは、ただちに「英語の視点に立つ」ということを意味していると思ったんですね。ところで英語の視点って、何でしょうか。
 それは、日本を外側からしか見ない視点なのではないでしょうか。話せるようにとの思いから無邪気に受け取った英語は、日本を外側から見る言語としての語彙を次第次第に、語り手のなかへ貯めてゆきます。練習に練習を重ねた末にその言語を会得し、ようやく不器用ながらも何とかその言語を使えるなと思った語り手は、それ を使って、自らの日本語を語ろうとするでしょう。けれど、(これは経験しないとわかりませんが)そのとき、自分の口から出てきた言葉に愕然とするはずです。
 英語を使って語ろうとしたとたん、語るべき日本語はすでに失われているのに気付くのです。どれだけ用心して言葉を選んでも、綴られる文章からはその日本的がすっぽりと抜け落ちている。
 これに恐ろしくなって口を閉ざしていても、やがてきっと、こう思うでしょう。
 言葉というのは、一度口にして語られてしまうと、語られていないときの状態には二度と戻れないものなのだということを。こういうご経験は、ないでしょうか。

 さて、これと同じ視点を1.の性差についても考えてみます。女性にとって、とくに知的な女性にとって、男性からの語りは、先に書いた「英語」と同じ抑圧を語り手に与えるのではないかと想像します。ふつうの方であれば、過敏になったりはしません。けれど、知的であればあるほど、そして人間の性差に関して無関心 を装えない人であるほど、この抑圧は圧倒的となるでしょう。
 彼女たちはきっと、こう思うのではないでしょうか。女性としての自分を語り始めたとたん、口から出た言葉はすべて、男性のものなのではないかと。彼女たちは、語り始めたとたんに、女性としての自らの言葉を失うのです。フェミニズムには明るくないのですが、フェミニストたちの語りには、常にこの陰があるような気がし ます。
 女性の言葉を手に入れるためには、どうしたら良いか。最も安直な手法は、自らが男として振舞うことです。そうやって手に入れる以外、「自分は女である」という認識から生まれる抑圧は、決して拭い去ることができないでしょう。失われた言葉をとり戻す、この動機に支えられて、実際の性を転換したり、転移の対象を探す行 動に出るという事例は、それほど珍しくないようにも思います。
 なぜなら、その動機は極めて正常な欲求から生じているように思うからです。

 1.の性差問題は、言語に携わる方すべてがもっと積極的に論じ合わねばならないものだと思います。日常生活における性の抑圧が、幼少期の問題とか、心理的な問題に摩り替えられる。そういった原因のよくわからない現実の悩みを、カウンセリングによって別な問題へと転移させる仕方は、あくまで対処療法でしかありません 。そもそも言語に纏わる問題(だと思ってます)なのですから、言葉に関心を寄せる者には、ひとつの原因を提示する義務があると思いました。


================================

  • バイリングワルになればよいこと。
  • 《ひと》という存在には 性は 存在しない。男も女も このひとになればよいと思われること。

この二点が 取りあえず 回答になります。