caguirofie

哲学いろいろ

D'ARTAGNAN

naquit vers 1610 / 1613 on ne sait pas exactement car son acte de baptême n'a jamais été retrouvé ,optons pour 1610 .
Il était l'un des fils de BERTRAND II de BATZ-CASTELMORE et de Françoise de MONTESQUIOU par contrat passé au château d'ARTAGNAN en BIGORRE.
Le frère de Françoise -HENRI de MONTESQUIOU avait épousé JEANNE de GASSION (soeur du maréchal) ,il était capitaine de MONTANER et fut Lieutenant du Roi à BAYONNE pendant 30 ans (+ à BAYONNE en 1668 ); le couple eut 6 enfants dont PIERRE DE MONTESQUIOU (° 1645 + 1725).
Je donnerai une brève notice sur ce dernier car il y eut à son sujet quelques polémiques un peu stériles de la part de plusieurs historiens de la fin du XIXè siècle qui argumentaient afin de savoir qui avait été le véritable modèle ayant servi à ALEXANDRE DUMAS pour camper son personnage.
( à suivre )

《チャンドラーと村上春樹、書くこと》・・・

と題して id:umedamochio  070408 が

ロング・グッドバイ」(早川書房)に、村上春樹が長大な「訳者あとがき」を書いている。その中でチャンドラーの手紙を引用し、書くことについてこう述べている。

という紹介を書いている。
引用された文章はここで端折る。わたしはコメントを次のように書いた。そこでは削除して ここに掲げる。著作権の問題うんぬんという話が出て来てしまったから。

ご挨拶を省きますが。


チャンドラーが《書くか、まったく何もしないかのどちらか》だというのと 村上が《たとえ実際には一字も書かなかったとしても、書くという行為にしっかりとみぞおちで結びついている必要がある》というのとは 矛盾しているように感じますが・・・?


もし矛盾しないとすれば 休養をしないということなのでしょうか。少なくとも 職業としての表現者は。そして 少なくとも《みぞおち》においては。


さらにこのことが 《徳義に深くかかわる問題なの》でしょうか。窮屈のように見えるのですが・・・?

#112

もくじ→2006-12-23 - caguirofie061223

第四部 ヤシロロジとしてのインタスサノヲイストの形成

第六十四章a 意志の科学は 交換〔価値〕を ヤシロロジする――母斑の世界では 人間つまりかれのやしろにおける立ち場(ときに神々)が 交換されている――

――§39――


聖なる徳なる魂の死は――その有り難い犠牲のうえに われわれがいま生活しているという感謝のこころと他者への思いやりのこころ このような共同なる観念は―― 目に見えない ゆえに 肉において存在する。アマテラス語化した精神の徳は きわめて肉的なのである。

前章の最後にこう書いた。ここには 二点 常識――つまり共同観念としての常識――に反すると思われる内容が見られる。一点は 精神の徳に対する言いがかりを言っているだけではないかというもの。もう一点は 目に見えないことがらを 経験科学の対象としているというもの。

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