caguirofie

哲学いろいろ

《人知を超えている》という概念は 何を意味するか? 併せて 宗教への絶対批判。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9974775.html
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie

1. その何ものかが《人知を超えている》というところまでは 人知が
及んでいるわけだ。

2. では その《超えている》そのもの(そのこと)の内容は 何か?
――超えているなら 分からない。

3. この場合の《分からない》の意味するところは 何か?

4. 《知り得ない》のか? ――いや。そうかも知れないが そうでな
いかも知れない。つまり 《知り得るかも知れない》。

5. つまり 《知り得ない》と言い切ったとしたら それは 知り得な
いと証明できたことを意味する。中身の分からないことについて証明も何
もあったものではない。――これは 《知り得る》と言い切った場合にも
当てはまるはずだ。

6. ならば 《知り得るか知り得ないかが知り得ない》と概念規定する
しかない。そこまでは 人知が及ぶ。

7. 人知を超えたものは けっきょくナゾである。つねにナゾである。

8. これが 世にいう神のことだ。



9. (5)をあらためて説明したい。《知り得るか知り得ないかが知り
得ないナゾ》なら 人びとの中には 《われは知り得た》と言う人が出て
来るかも知れないという問題だ。

10. ただしこの問題も はっきりしている。《おれは 神を見たんだ。
はっきり知り得たぞ》と言う人が現われた場合 そうだとしても その発
言ないし人知は それと同時に《いや それはただしいかどうか分からな
い》と成らざるを得ないということだから。

11. 言いかえると 神についての説明は 《知り得るかも知れない。
と同時に 知り得ないかも知れない》という相い対立するふたつの人知
(?)が同時に成り立っているというわけだ。
――ここから 《有る神》派と《無い神》派とに 人びとの信仰は 分
かれる。普遍神のナゾの普遍性ゆえである。

12. 世に蔓延る宗教は 《神を知り得た。この神を信じなさい》とそ
の一辺倒を押し進めるなら すべて完全にアウトである。それは 神では
ない。その人たちがこしらえた観念であるだけの神だ。

☆ いかに?