caguirofie

哲学いろいろ

 主語「私」は述語「考える」の前提である と述べるのは 事態の捏造である。

 それが考える( Es denkt. )。

 だが この「それ」はまさにあの古く名高い「私」であるというのは 控えめに言っても仮定や主張に過ぎないし とりわけ「直接的確実性」ではない。結局 この「それが考える」でさえ すでに言い過ぎである。(ニーチェ:『善悪の彼岸』信太正三訳 1993 p.40)

互盛央 p.391





Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie