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哲学いろいろ

《ことば》に超越論的実体はない。

互盛央が書いている。:

言語起源論の系譜

言語起源論の系譜

第5章 起源をめぐる闘争――乱立する言語起源論の時代:18世紀 pp.234-235

 だが A.スミスのように そしてコンディヤックやテュルゴのように人間に《交流》*1を認めるなら その帰結は あらゆる国民が立ちうる王の位置には現実のいかなる国民も立ちえない というものになること*2――ルソーが《一般意志》を通して明らかにしたのはそのことではなかったか。

 
 それは 主権者とは《それ( es )》であると同時に《神( Gott )》でもあるのでなければならないということだろう。むろん これは矛盾している。だが 矛盾していようがいまいが それこそがやがてフランス革命が扉を開ける人民主権に基づく《近代》の民主主義というものだ*3フーコーがこんなふうに表現したように――《私たちの近代性の始まりは 〔・・・〕人間と呼ばれる経験的‐超越論的二重体が作り出された日にこそ位置づけられる》*4


 ロマン主義への道

 ひとたび社会が成立した途端 経験的領域にある者には立ちえないはずの王の位置に何かが立っているように見える。それは 《経験的‐超越論的二重体》の宿命である。だが それが絶対王や皇帝という姿をとったとき 国民の権利を保護するはずの国家が逆に国民の自由を脅かすという逆説が現われ 国家の起源で作動していたはずの《交流》は軽視される。*5

ところが 《ことば》は なるほど《あやまちうるスサノヲ人間語 ‐ あやまち得ない〔と見なされた〕アマテラス普遍語》なる複合構造から成ることはあっても この後者の《アマテラス普遍〔科学および人格〕語》が どれだけ間違っても《超越論的なるもの――つまり要するに〈神〉――》ではあり得ない。と知らなければならない。

 それどころが 普遍性を捉えたと誇る科学語もそしてまた倫理規範とされる人格語であっても これらアマテラス語は かなしいかな人間の用いる言葉なのであって いつでも・どこでもあやまち得ると言わねばならない。というよりは 或る程度・またかなりの程度において普遍性を探究した結果をもろもろのアマテラス科学語は反映していると思われるのだが いかんせん人間がこれを用いるときには 一般に政治的な思わくがはたらいて 都合のわるい部分は隠すとは言わなくとも触れることなく 都合のよい部分を公開するというクセが出て来る。
 
 つまり一般に アマテラス普遍語も じっさいには官僚が司ごとに省益を顧慮しまた学者がその政治的信条にもとづき駆使する結果 諸アマテラス方言として現われている。


 このアマテラス普遍語を 《超越論的なるもの》と見なすことは あり得ない。

 ただし 社会が国家という《スサノヲ市民社会 ‐ アマテラス公民圏》といった二階建ての家なる形態を取ったときには やがて アマテラス公民の中からさらにその抽象体として いわゆる象徴:アマテラシテが生まれるべくしてのごとく現われた。

 すなわち

 《スサノヲシャフト*6 ‐ アマテラストゥーム*7(アマテラス公民(政治家・官僚等) ‐ アマテラシテ)》なる連関制

 となった。このアマテラシテ( l'amatérasité; the amaterasity; das Amaterasität )が たとえ神であると人びとが見なした(つまり 現人神あるいは明つ神)としても それはあたかも神のごとくであるという単なるタトエでしかない。神本体の依り代である。という通念の仕組みである*8


 よって

  《経験的 ‐ 超越論的二重体》

 なる捉え方には 現実性がないと千回言いたい。

*1:《交流》 commerce : 言語の起源あるいは起源の言語を認める・認めないにせよ また認めてそれがどうであるにせよ それとは別に人びとのあいだでふつうに《言葉をとおして話し合うという交通がおこなわれること》を言うらしい。

*2:あらゆる国民が立ちうる王の位置には現実のいかなる国民も立ちえない というものになること: なぜなら つづく行論にあるように《三人称( es / il )》が 《非人称(たとえば Es regnet./ Il pleut.(天(あめ)降る)》である場合には 国民一般にとっては 《三人称=非人称に成る王》は同じ世界の住民ではないゆえであるらしい。

*3:フランス革命が扉を開ける人民主権に基づく《近代》の民主主義: 上野修:『デカルト、ホッブズ、スピノザ 哲学する十七世紀 (講談社学術文庫)』 2011 p.53頁参照 とある。――そうかなぁ。単純すぎないか?

*4:《私たちの近代性の・・・》: Foucault:Les mots et les choses. Une archeologie des sciences humaines Les mots et les choses: une archéologie des sciences humaines pp.329-330 『 言葉と物―人文科学の考古学』 p.338

*5:・・軽視される: このあと《ルソーが『言語起源論』の最終章に記した一節に反映している》とつづく。

*6:スサノヲシャフト: der Susanowoschaft

*7:アマテラストゥーム: das Amaterasutum

*8:アマテラシテ=象徴=国王:この国王を 《ひとたび社会が成立した途端 経験的領域にある者には立ちえないはずの王の位置に何かが立っているように見える》と明言したように《経験的領域にある者には立ちえないはずの王の位置》として・つまり《超越論的なるもの》として・つまり神として すでに著者・互盛央は 決まっているように語っている。