caguirofie

哲学いろいろ

神学と哲学とそして愛

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie
まづ
 ★ 神に語りかける言葉
 ☆ と神からの言葉とは 微妙に違うかも知れないけれど 同じと見て《神学》と呼ぼう。

 すると
 ★ 人間に語りかける言葉
 ☆ は 《哲学》である。

 あるいはさらに 例のパウロなる男によれば こう分類される:

  ・《神に向き合う言葉》≒神学 ≒異言
  ・《人と語る言葉》 ≒哲学 ≒預言

 《異言(いげん)》とは まさに神からの言葉――あるいは イメージそしてヒラメキ――であり 言葉じたいの意味は分かっても まだ何を言っているのか分からない言葉を言う。

 《預言》とは 異言の解釈を言う。人どうしの会話として分かるように説明したものである。

 パウロの結論は 異言を言えるにこしたことはないが 人びとのためには 預言を語れるようになるのが のぞましい。である。

 まぁ わたしは 両者を使い分けるというのが 実際であり 問題はきちんと区別していること・区別して全体として語ること。ではないだろうか?

 神学を持ち出すときには 《抹香くさい言い方によると》としてことわっている。



 パウロの言うところに耳を傾けよう。


 ▼ (コリント前書 12:7〜11) 〜〜〜〜〜〜〜
 7: 一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。

 8: (あ) ある人には“霊”によって知恵の言葉、
   (い) ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、

 9: (う) ある人にはその同じ“霊”によって信仰、
   (え) ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、

 10: (お) ある人には奇跡を行う力、
   (か) ある人には預言する力、
   (き) ある人には霊を見分ける力、
   (く) ある人には種々の異言を語る力、
   (け) ある人には異言を解釈する力が与えられています。

 11: これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。
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 ☆ (け)《異言を解釈するチカラ》は (か)《預言するチカラ》と同じです。



 さらに:
 ▼ (同上 14:1〜5) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 1: 愛を追い求めなさい。
  霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。

 2: 異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。
  それはだれにも分かりません。
  彼は霊によって神秘を語っているのです。

 3: しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、
  人を造り上げ、励まし、慰めます。

 4: 異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、
  預言する者は教会を造り上げます。

 5: あなたがた皆が異言を語れるにこしたことはないと思いますが、
  それ以上に、預言できればと思います。
  異言を語る者がそれを解釈するのでなければ、
  教会を造り上げるためには、預言する者の方がまさっています。
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ☆ ここで《教会》とは 《見えざる教会》と解釈してください。つまり ふつうに《社会》のことです。したがって その行き着く先は 《共生》です。

 そのために 《異言》と《預言》とが用いられる。と言っているものと考えます。
 どうですか?