Cantor
けっきょく思うにですが
対角線論法は 直線論法とおなじく α(あれふ)さんの眼から離れて――つまりは 実無限を認めたという前提を一たん離れて―― 無限直線によるいわば有限手続きをほどこしている。のではないか?
しかも どこかに《αさんの眼〔による見方〕》を手品の種として持ちつつ――つまりそれが 《有限の手続きによってもよい》という感じを対角線論法者なる本人にもあたえてしまっていて―― あとは背理法を適用し得たのだということになる。
そんなことを認めてしまったなら 今度は逆に 自然数の集合のほうが無理数の集合よりも大きいと証明してやろうと思った人間が 対角線論法にはまったく触れず 自然数の最後の数に一を足して そのこの一だけ自然数のほうが大きいと証明したことになる。
9月18日にも同趣旨の議論があります。
⇒2012-09-18 - caguirofie2012.09.18