caguirofie

哲学いろいろ

神の自己差異化? 

 ●(宮本久雄:アブラハムの受難と他者の世界) 〜〜〜〜
 古代世界にあって相手の名を知ることは 相手の霊や魂の力が宿る名を所有しコントロールしてその力を利用できるいわば魔術を意味した。
 この場合 神名を示すヤハウェは 民に名を知られることによって 民の意のままになる魔術的神に堕しうるのである。それでは神と民との自由な他者的関係が強制の関係になってしまう。
 従ってこの神名のエフィエーの反復〔――エフィエー アシェル エフィエー=われはある それがわれなり――〕は 神名の開示でありかつ開示の拒否という両義性を示す。つまり 民に名を明かしつつ魔術的神を拒否する意味で名を隠蔽するわけである。
 旧約の神が現われかつ隠れる神( Deus revelatus et absconditus )と言われる由縁である。
 この顕現と隠れも ハーヤー〔存在〕の自己差異化に拠る。
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 ☆ こういう議論がありうるのですかねぇ。
 ● 民に名を知られることによって 民の意のままになる魔術的神に堕しうる
 ☆ という見方など おもしろいのですが。

第四の異化は ハーヤーの差異化的脱自は 他者に向かう特徴を示す。