caguirofie

哲学いろいろ

#13

――遠藤周作論ノート――
もくじ→2005-11-03 - caguirofie051103

§24 敬語という想像世界をとおして

付録の第三話は 文体というテーマです。文体として ことばによる表現の問題。

寄親である石田さまからお呼び出しがあった。話したきことがあるゆえ布沢までまかり越すように とのことである。
石田さまのお家はその昔 殿のご先祖にたびたびはむかわれた一族だが 今はご一門衆として扱われている御大身である。
・・・控えの間でしばらく休息したのち 石田さまにお目にかかった。
小肥りの石田さまは羽織を着て着座されると 黒光りのする板敷きに両手をついて畏まっている侍に笑顔を見せ 叔父の様子をたずねられ
 ――先日もここでいろいろと愚痴をこぼしおった。
と愉快そうに笑われた。
 第一章)

この文章の内容を 問題にしない。ここでは その文体の中のいわゆる日本語の敬語が 問題である。この点は テーマになると思われた。
すなわち 想像において同伴者イエスを持つと 敬語が多用される。敬語が多用されると ただ想像においてわたしがわたしである また きみがきみであるにすぎなくなる。つまり 敬語が悪いということではないであろうが 想像をとおしてわたしがわたしであるときにも 敬語が第一義に使われるなら それは その文体によって 卑屈という名の倨傲な性格をよくあらわすことになる。こういった問題を取り上げたい。わたしの考えでは これは 瑣末なことではなく 本質にかかわると思われ たとえば

山の傾斜を登りながら ノッポは私に言った。
 ――君の村のことばには敬語はないのかい。聞いていると無いようだな。僕は日本語は極端な敬語好きだと思ってたのに。
この指摘は私をびっくりさせた。私は胸の中で敬語を村のことばで言ってみようとしたができなかった。敬語にすると普通語になった。
 ――そう言えば敬語はないなあ。村のことばじゃあ。
 ――そうすると ことばの上では日本は二つに分かれているわけだな。敬語を使う部分と使わない部分と。
 ――そうなるなあ。
 ――村ことばのあるところはみんなそうなのかなあ。
 ――知らないなあ。僕はこの村のことばしか知らないから。
 ――もし村で使っていることばがどこの村ででも敬語を知らないとするとおもしろいね。日本の根元(ねもと)は民主主義だといえるがなあ。
 ・・・もしそうならそんな民主的な言語を使っているところは敬語を使っているところより民主的でないわけには行かない。
きだみのる:気違い部落の青春 三十八)

言うところそのままが正しいとは限らないであろうが そういう問題である。むろん《民主的》というのは わたしがわたしであること または そのための社会的な土壌ということである。
なぜなら敬語が発達したということは 発達しなければそれなりに問題(または非問題)でもあろうが 発達したということは 前章で見たように 自給自足のエデンの園からの人びとの離脱をそのまま 起源としているからである。前史もしくは原史から 後史もしくは前史へ人びとが歴史したとき 階級問題と言わずとも 社会的な階層的な上下関係が生じたからである。《愚痴をこぼしおった》というのは 上に立っており 《まかり越す》というのは――《まかる》は《身まかる》というように 《死ぬ》を意味するが そしてその語源は《まか(任)せる》のニュアンスにあると言われることであるが―― 下に位置してつまり従者としてというよりも客体となってしまって 言っている。
また この時代の封建制にかかわる《わたし‐きみ》関係が 近代市民的なそれに変わったというのは 今の時代の大きく前史としては 小変化にすぎないと言うことができよう。
しかも 上に見たように 敬語を用いないで生活する社会が あたかもエデンの残像としてのように かたわらで現代にも息づいている。もしくは 息づいていた。
敬語をなくせばよいという話ではない。なぜなら 現代はやはり基本的にすでに楽園を離れたところから歴史しているのであり 同じくこの前史が本史としての次の後史へ移行するというときには 原史の楽園よりもその復活したすがたは優れていると聞いたからである。このような事柄やテーマを総動員するのが 現代の課題であるようである。
上の《》からの引用文の中で 尊敬の助動詞といわれる《れる・られる》を取り上げてみよう。
《〔こぼし〕おった》とか《まかり越す》という語は 動詞じたいに 社会歴史的に上下関係または主客関係の意味が込められてきたわけであるが このような表現の形式が助動詞の用法によって言わば一般化するかたちについてである。

  • ちなみに《居る》というとき 《おる(をる)》は 《ゐ有り》から出た言葉であり ただ《いる》というのに対して 動作じたいが低い姿勢の持続にあるゆえ 卑下謙譲また逆の方向から見れば蔑視の意が伴なったのだとされる。

《はむかわた / 着座される / たずねられ / 笑わた》の用法であり 語としては《扱わて》にも現われている。
ところが この《れる・られる(る・らる)》は 上の尊敬の意と受身の意とにもともと大差ないと考えられる。いわゆる自発・可能の意とも同様であると。そして この語は 使役を表わす《す・さす》と対照的だと考えられている。次のように。――

  • あまた(多数)
    • あます(余)
    • あまる(余)
  • うつつ(現)
    • うつす(移)
    • うつる(移)
  • おこ(いき)(息)
    • おく(起)
    • おこす(起)
    • おこる(起)
  • おと(乙・弟)
    • おつ(落)
    • おとす(落)
    • おとる(劣)
  • なが(長)
    • なぐ(投)
    • ながす(流)
    • ながる(流)
  • 〔みだ〕
    • みだす(乱)
    • みだる(乱)

《す》が 動詞(to do )であるならば 《る》も 《あ(生)る》という動詞に起源があると考えられている。《あらわ・あらた(験)・あらひとがみ・ある(有・在)・あらわす・あらわれる》などの語である。
《たずねた  / 笑った》という言葉――それは 動作や状態を捉え見て 自己の記憶を想起しその視像を表象し知解し これらの言葉によって認識したものである――に対して 《たずねがあった(出現した) / 笑いがあった》との自己の感情や意志を込めて つまり 記憶と知解とを第三の行為能力たる意志がちょうど結び合わすようにして 表現したのが 《たずねられた / 笑われた》である。これは 受身の意の《扱われた》にも同じだと言えると見られる。
ところが この原義――ちょうどエデンの原史のような――では 記憶と知解と意志とは 三つの行為能力であって 一つの本質 一つの精神である。その意味で わたしはわたしである。しかし これを 原義――原史――を離れて 想像において 慣習的な安全の道たる社会的なある種の規範とするならば そのようにして美化するならば 安全の道がわたしのためにあるのではなく わたしが安全の道に従属していることになる。また 事実 エデンの園を追放されて――自由意志によって離れて―― そのような律法による共同自治の歴史が現われたのである。
したがって このような文体の問題は 通りすがりの考察ではおさまらない人間凝視の仕事を喚起すると思う。
ところが 使役の助動詞《す・さす》にも 奈良時代には 尊敬の意を表わすことがあった。《たずねさせたまう》とか《笑わせたまう》というと 尊敬の敬語表現であった。ただし この場合は――あるいはこの場合も―― 事実じょう 自らが直接しゃべるのではなく或る別の者に尋ねさせたといった動作がそのまま表現されているのだから 敬語の問題は むしろ社会的な人間の身分関係のほうに 原因があるようにも捉えられる。
いまの場合 たとえば突飛な見方であるが 《たずねさせたまう》について 《あの復活が もしくは 人びとの社会的な総意( volonté générale )が ある高貴な方をして訊ねしめる》というふうにも解釈しうるかも知れない。だとすれば その上下関係を超えて 人びとは 復活に関係づけられている つまりわたしがわたしであることを悟っていると つまりその事態を無自覚的に表現していると見られる。
カトリック作家は 遠藤さんの文章について見て この総意としての悟りをいまだ想像において 或る虚構じょうの倫理的な美を描き出すことによって 見つめようとしていると感じられる。もしくは この観察を 観察は 最後までつらぬき その倫理的な美の安全の道を人びとにおおいかぶせるようにして 提出しているかに感じられる。この批評については まだ感覚の範囲を出ないかも知れないが。

  • 遠藤さんは あたかもキリスト・イエスについて わざわざ敬語を用いて表現し 一方でそれは倫理的に美しい世界であることを示そうとし 他方でその安全の道がいつまでも人にとって顔覆いになってしまうような文章表現をしてはいまいか こういった問題点を感じています。

わたしたちとて 復活の道を そのものを 指し示すことはできませんが この道を人間の或る想像による顔覆いをかぶせるようにして阻もうとするのならば その動きに対してなら その誤謬を指摘していかなければならないと考えます。
(つづく→2005-11-16 - caguirofie051116)