義経のこと・壇ノ浦を経て
もくじ→2004-12-29 - caguirofie041229
- 頼朝とは もとから合わなかったと見るべきように思われて来た。
- 生活のために権力闘争をしているのが もし義経であるなら 頼朝は 権力と生活のために闘争をしているかに映る。
- もともと 二人は合わない。けれども――いまは 単純にNHKのドラマを見ての観想なのだが―― 頼朝は 確かに義経に対して 公務に関して できる限り義経への説得に努め コミュニケーションを図っている。だが 合わない。
- ちなみに われわれは 権力を回避せよというわけではないという方針のもとにある。だから この考え方をも入れて 権力観には 三種類があると思われる。
- われわれの考えは いづれとも相い容れないほどであるが それほど ぎくしゃくはしない。ほかの二者は この第三種をけっきょく相手にしないであろうから。
- けれども 源氏の両者の思想の間には 埋められぬ溝がどこまでも続くと見ざるを得ないほど 合わない何かがある。闘争という土俵が同じであるならば そのようだと思われる。
- だから ちなみに 例の梶原景時の介在のことは 現象としては 厄介なように見えるが 問題の核心には入って来ていないのかも知れぬ。景時が 義経をどれだけ悪く言おうと 事の本質には影響していないとさえ思えてきた。
- とにかく 壇ノ浦の勝利のあと 頼朝から御家人一同に《義経には従ってはならぬ》との命令が出た時点で 物語は最後を迎えたと見える(9月18日放送分)。
- 全体として 頼朝は 義経に対して できるだけ公平にまた良心的にさえ接し かれを迎え入れようとしていたとまず思われる。ただ 二人の間で 目標が微妙にちがっていた。頼朝が 義経のためを思って公平に遇すればするほど また義経が頼朝政権のためにはたらきその結果が良ければよいほど 二人のあいだの溝の深さが ますます顕わになってきたというように見られる。
なんちゃって・・・。
- ドラマでは 北条政子の介入のことが ほのめかされていた。
- 頼朝を見限って 北条家じたいが為政者の地位につくのだというはかりごとである。
- そうかもしれないし 権力者としての頼朝の脆さを見せていることになるが 義経との関係としては それがなくても 同じようだったという見方に傾いてきた。
- もし義経vs政子という図式が成り立つのならば 話が違ってくる。政子は権力の亡者であるというにすぎない。