caguirofie

哲学いろいろ

第二部 歴史の誕生

全体のもくじ→2005-06-20 - caguirofie050620

第四十章 短いむすびのお話

継体ヲホド

応神ホムダワケが《かくもがと見し子》の継体ヲホドの段では 次の記事のみ注目しうる。

この御世に 筑紫の君イハヰ(石井) 天皇の命(みこと)に従はずして 多(まね)くゐや(礼)無かりき。故 物部の荒甲(あらかひ)の大連(おほむらじ) 大伴の金村の連(むらじ)二人を遣はして イハヰを殺したまひき。
古事記継体天皇の段)

ウタの構造は ゐや(礼)の問題として 善悪の木により組み立てられるようになったのかも知れない。

雄略ワカタケ

その隠れた岡を金鋤の五百個で 鋤き撥ねようものをと雄略ワカタケをして歌わしめた丸邇(わに)の佐都紀の臣のむすめ・ヲドヒメは のちに雄略ワカタケのトヨのアカリ(豊の楽)の席にいた。

春日のヲドヒメ 大御酒を獻りし時 天皇(雄略ワカタケ)歌ひたまひしく

水灌(みなそそ)く 臣の嬢子(をとめ)
秀〓(ほだり)取らすも 
秀〓取り 堅く取らせ 
下堅く 弥堅く取らせ 秀〓取らす子
(記歌謡・101)

とうたひたまひき。こは宇岐(うき)歌なり。ここにヲドヒメ 歌を獻りき。その歌に曰ひしく

やすみしし 我が大君の
朝とには い倚り立たし
夕とには い倚り立たす
脇机(わきづき)が下の 板にもが あせを
(記歌謡・102)

といひき。こは 志都(しつ)歌なり。
古事記雄略天皇の段)

101番の歌は 雄略ワカタケからヲドヒメに対して《酒瓶をしっかりお持ちなさい》と声をかけている。102番は それに返して《ワカタケの脇息の下の板になりたいものです》と言っている。
ゐやの問題は すでに固まって来ていた。ウタの構造は 強烈な心理的な見えない力を放出し発揮しているとわたしには映る。

  • 近代の日本 戦後の日本は このようなウタの構造の世界から出て来た。観念の運河のごとく 社会的な心理の共同が 見えない力として はたらいていたと捉えられる。
  • 公的な場 表の世界では これに対しては このように それに対してはそのようにと 表現し発言するというようなことが すでに 頭の中に刷り込まれていて 決まっていた。善悪を知る木によって 昼と夜とを使い分ける・生き分けることが ゐやの世界をつくっていた。(《ゐや》とは《うやま〔敬〕う》をつくった語である。)
仁賢オケ・顕宗ヲケのささやかな復讐のこころ

雄略ワカタケも逝ったそののち

天皇(顕宗ヲケ) 深くその父王(ちちみこ=市辺の忍歯の王)を殺したまひし大長谷天皇(雄略ワカタケ)を怨みたまひて その霊(みたま)に報いむと欲(おも)ほしき。故 その大長谷天皇の御陵を毀(こぼ)たむと欲(おも)ほして・・・
古事記顕宗天皇の段)

その時 兄の仁賢オケが言うには ほかの人ではなく その役目をわたしに命じたまえと言う。

ここをもちてオケのミコト 自ら下り幸(い)でまして 少しその御陵の傍(かたへ)を堀りて 還り上りて復奏(かへりごと)言(まを)したまひしく
――既に堀り壊(こぼ)ちぬ。
とまをしたまひき。
古事記顕宗天皇の段)

仁賢オケは 陵の端っこを《少し掘》ったことで復讐を済ましたという。後で問い返して知った顕宗ヲケも 了承したという。《既にかく(一部のみを掘ることによって)恥みせつれば 後の世に示すに足らむ》という。だとすれば あたかも 雄略ワカタケらタラシヒコのウタをうたう人びとに対して あの《い及け い及け》の底流の声が響いているかのようである。オケ・ヲケ兄弟は 良心のためにオホタタネコ原点の同一にとどまろうとした。

・・・おしまいに夢想を・・・

オホタタネコ原点・イリヒコ歴史知性に立って 自らを保ち生かそうとするとき 現代においてそのためには ひとつには 国家という社会形態のあり方を考えることから出発しうると思う。
社会が根子圏と日子圏との二階建てになって もっぱらの日子圏が主導していること これについて考えることが重要ではないか。

  • 根子圏はスサノヲ圏 日子圏はアマテラス圏と 現代では それぞれ呼び替えている。

端的に――原点の歴史知性の問題としては ゆづる精神のスサノヲイズムまたその愛なるインタスサノヲイズムに立つと思われるが―― 市民根子圏の主導方式へと向けて ムライズムまたインタムライズムを掲げたい。

  • 市町村議会議員の中から 国の水準と範囲とにかかわって 国会議員を選び出し ムライズムなる自治体の政治を 総合的に調整させる。
  • インタムライズムを掲げるからには 世界の市町村が互いに主体的に直接 交流する。
  • 世界の市町村が 互いに その議会議員を 選出し合う。
  • 経済・文化その他の交流を推進する。