caguirofie

哲学いろいろ

#39

全体のもくじ→2004-12-07 - caguirofie041207

§9 住谷一彦『日本の意識―思想における人間の研究 (同時代ライブラリー)』 d

§9−3

もう少し整理しながら 迫ってみたい。
大前提―― 一つに《決定因としての真理》 二つに《真理と個人との関係(倫理的な神?)》 三つに《神を信じる》といった一般事項 四つに《わたしは神を信じる》つまりはそれの経験具体的な思想 ただしこの第四点は きわめて間接的であり むしろ何も語られていない―― このような大前提を いづれの点にしても 主題とし ねらいの基調とするのであれば それの情況証拠のようなであってもいくつかの例示 殊に内村鑑三個人の歴史 にかんしては その語り口についても 先の大前提が とうぜん 中心になる主題として つらぬかれているのがよい。すなわち 例示の語り口に深入りするのは 解せない。つまり 語り口の例示と 大前提の主題とが ごっちゃになっている。と見たい。語り口のほうでは 主題以前つまり主題の結論に到達するまでの過程が 重要視されている。
両方が大事で まとめて《日本の意識》論だというかに見える。もし そう見えて しかもそうなのだというとするなら 《決定因としての日本の意識》は 明らかに 何を隠そう キリストの神だと 言ったことになる。そうではないだろうか。実際は どっちつかずなのである。内村はキリスト者となりしゆえ もう決して住谷の議論は間接的ではなく はっきりそこまで達しているのだと 見るべきだろうか。それならば 内村の神と 自分の(つまり住谷の)神とは 同一だと 間接的に語ったことになる。

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