caguirofie

哲学いろいろ

#79

もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513

第二部 唯物史観への批判

第六章 理論としてのキリスト史観(2――前提をさらに理論化する)

第四節b 唯物史観は 至聖所に物質を〔のみ〕置き・見る第一の幕屋である

弱さ・中間性が人間の力によって明らめられることと 人間の存在の根拠から派遣された精霊(このように表現すべき。なぜなら それは 理論=第一の幕屋を超えて存在すると信じられるから)の力によってそれが裏打ちされることとは 別のことです。
キリストが(――もしくは かれらにとって物質がでもいのですが――) 人間と共にあるように派遣されることと 人間であるように派遣されることとは 別です。物質が存在の根拠として人間と共にある つまりそのように人間の思惟においては把握される つまりそのような幕屋が人間において知解されあたかもこれそのものを愛するように共同主観者となることと それが物質によって構成されるものであれ 人間存在が 上のような幕屋を超えてそのさらに源から派遣される(ないし一般的にはその源によって造られ生まれる)・つまり人間は自己を上のような幕屋(知解)をとおしてその存在を全体として知解しこれを愛することとは 別です。

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