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哲学いろいろ

Sauve

Pays des Cévennes - Gard: agrippée au flanc du massif du Coutach au pied duquel coule le fleuve Vidourle, Sauve est un remarquable village médiéval. En se promenant à travers ses ruelles, on a tout loisir de découvrir les vestiges des remparts, les portes fortifiées, les deux tours médiévales, les voûtes, les venelles. Il se singularise aussi par un secret unique en France, et vieux d’au moins 900 ans : le micocoulier, arbre méditerranéen.

いじめの問題――生徒の自治

生徒会に 生徒たちの共同自治による特別委員会をつくってはどうか。
すでにあるだろうか。
問題生徒再生委員会と銘打てばよい。いじめは あほで卑怯で精神的な自殺行為だとおしえ合うとよい。むろん 生徒たち自身で 互いに 考えあっていくという趣旨である。

  • 加害者が特定できないばあい または 特定できても その者たちに集中して批難を浴びせることは主旨に反するとすれば それらの場合には 問題行為是正委員会という方向で みんなで考え合っていくのがよい。

#2

もくじ→2006-11-26 - caguirofie061126

《はじめ(出発点)》b

また旧聞を繰り返したように思われるかも知れないが 微妙な点であって 経済学が いわゆる経験科学であることは 《原理》のあとに――しばしば いわゆるイデオロギが・つまり脱イデオロギというイデオロギをふくんだそれが この《原理》を代替すると考えられることがあるのだが 《原理》のあとに―― そう(経験科学)であろうとするとは 言うべきでないのであって 《はじめの経験世界》を立てたことにおいて すでにそうであり かつ 最後までそうだとみること。つまり早く言えば なんならこの《はじめ》を立てたこと これが ひとつのイデオロギだと見られてもよい 便宜的にはそう見るべきだということである。つまり《規範》でもなければ まして《原理》ではないという前提に立ってということになる。
これが 《考えるの 信じるへ向けての開放をもった人間の存在》という大前提の内容であり かつ 経験的な保証である。

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