caguirofie

哲学いろいろ

Aniane

Causses Cévenoles - Hérault

:fondé au VIIIe siècle, ce village doit son origine à St Benoît qui, séduit par l'endroit, y bâtit son abbaye. Au sortir des gorges de l'Hérault, abrité par les collines alentours, le village est situé dans une plaine verdoyante, un patchwork de vignes, de jardins et d'oliviers. Passage de la route du Sel, chemin de St Jacques de Compostelle, la cité est empreinte de tradition et d'histoire. Témoins du passé, les nombreux bâtiments : l'hôtel de ville et sa magnifique façade Louis XV, l'église St Sauveur, l'ancienne église paroissiale dite des Pénitents, les halles...

#1

もくじ
《はじめ(出発点)》:
・・・a:本日
・・・b:2006-11-27 - caguirofie061127
《価値(たから・とみ)》:
・・・a:2006-11-28 - caguirofie061128
・・・b:2006-11-29 - caguirofie061129
《価格=値打ち・値段》
・・・:2006-11-30 - caguirofie061130
《価格》に対する新しい考え方:
・・・a:2006-12-01 - caguirofie061201
・・・b:2006-12-02 - caguirofie061202
《インタスサノヲ価格》の実際
・・・a:2006-12-03 - caguirofie061203
・・・b:2006-12-04 - caguirofie061204
・・・c:2006-12-05 - caguirofie061205
価格の決定への一つの見方
・・・a:2006-12-06 - caguirofie061206
・・・b:2006-12-06 - caguirofie061207

補遺
・・・a:2006-12-08 - caguirofie061208
・・・b:2006-12-09 - caguirofie061209

《はじめ(出発点)》a

経済学は 知解行為(考える)から始まるとすると それは なにから 始めるべきか。
この知解行為をそれによっておこなうところの 人間の《ことば》について まず 始めるべきか。
はたまた 人間であるわれわれがそこに存在するという場 この《世界》についてからだろうか。
わたしが 《人間》として この《世界》に存在するということを 《ことば》をとおして 知解しようというとき――《経済学》の起こりは これを 基本的な内容とするであろう―― なにから始めるべきだろうか。
それとも 経済学を おなじく広い意味に取り わたしたちは 自分たちが ことばを用いてこの世界にあって人間として生きるとき なにをおこなおうとしているのか これから 始めるべきであるだろうか。なにかをおこなっているという事 これから すでに 出発しているべきであるだろうか。
この広義の経済学は 政治経済学とよばれる。または 経営経済学 または 自治経済学と呼ばれるべきものであって――自治に 文化をふくめてほしい―― それから始めようとした知解行為のほかに すでに実践をともなった意志の行為を ふくめているゆえに そのまま全体として 人間の学でもある。言いかえると 政治 / 経営 / 共同自治の行為と経済活動とをふくめているゆえに 人間が社会的かつ歴史的な存在であるからには 社会の学であり歴史の学である。そして このばあい 社会のなかの階層とか分野とかの違いによって 上のように 政治経済学 経営経済学 共同自治経済学(行政学) 自治(家族生活)経済学とに 分かれるものと考えられる。

  • オイコノミアは 最後の家政論から始まって 国内政治にかかわったものらしい。経世済民は はじめから国家統治にかかわっているようだ。
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