caguirofie

哲学いろいろ

Le Caylar

Haut Languedoc - Hérault
: à 727 mètres d'altitude, la petite capitale du Larzac méridional commande l'entrée du plateau et plus largement l'accès aux grands causses. Elle est environnée d'étranges chaos de rochers dolomitiques ruiniformes. A voir l'arbre sculpté sur la place du village, de même que dans l'église le remarquable retable en pierre polychrome du XIVe siècle.

#4

もくじ→2006-11-18 - caguirofie061118

《信じる》と《考える》との関係

わたしたちは 《あの人・この人を 信じる》と表現することがある。これは おそらく 《信頼している》《信頼するに足る人物だと考える》の意で用いているものと思われる。なぜなら 《信じていた》その人が 欺き欺かれることはありうるからであり それは 思い込みでなければ すべて《考える》の経験的な過程に属している。
《政府を信じる / 国家を信じる / 会社を信じる》等々というときも 同様である。したがって固有には 《考える経験上のことがら》を超えたところのものを《信じる》であったのに 《人》とか《国家》とかを信じると言ったなら もしそれらに欺かれたとき その表現の――表現だけとしても その――強さから来る落差が大きくて もはや一時的には 考えることも何も出来ず 落胆し失望するという経験も 起こるわけである。
しかも 失望の底から わたしたちが起ち上がるのは そこに じっさい 考える余地がのこされていたからである。

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