caguirofie

哲学いろいろ

Midi-Pyrénées

Saint-Beauzély,Aveyron
Dans le Parc Naturel Régional des Grands Causses, au coeur de la vallée de la Muse, Saint-Beauzély fut longtemps le pays des tailleurs de pierres et de bâtisseurs à qui sont dus de nombreux bâtiments du Sud-Aveyron. Saint-Beauzély est un lieu où dolmens, vestiges de temples gallo-romains et voie romaine témoignent d'un habitat ancien. Le village, groupé autour de l'église est cité dès 1082. Il tire son nom de Saint Baudile, patron de la paroisse.

#3

――遠藤周作論ノート――
もくじ→2005-11-03 - caguirofie051103

§4 《月光のドミナ (新潮文庫 え 1-4)

若い女だった。白人の女だった。のみならずその人は一糸もまとってはいなかった。顔をふって額を覆った栗色の髪を払うと 長い脚で砕ける波をふみしめながら ゆっくりと浜に近づいてきた。
月光がその人の濡れた髪や顔や真白な立派な体にかがやいていた。僕にはその肩や乳房や脚に光っている玉のような水滴まではっきり見える気がした。
その人は僕をじっと見つめながら浜に上ってきた。それから立ちどまって僕とむきあった。
長い間 二人は黙っていた。突然 彼女は右手をあげると激しい音をたてて僕の頬を撲った。
水によろめいて倒れた僕の眼の前に彼女の濡れた細かい砂のついた両脚があった。その足の指を月光に輝いた波が押しよせては洗い 洗っては退いていく。僕はその人に打たれた痛みに酔っていた。その痛みは頬だけではない 五体の隅々にまで痺れるような不思議な感覚を伴ったものだった。口惜しさも怒りも僕は感じなかった。なにか暗い世界に引きこまれ 落ちていくような気がする。その暗い世界は人間が死後 すいこまれていくあの涅槃のようなもの 考えることも 苦しむこともなくただ眠ることのできる涅槃に似ていた。
波は幾度もうち寄せ 僕の両手 僕の衣服を濡らしていった。その人の足はもう眼の前にはなかった。(ドミナ)という言葉がその時 流星のように僕の頭を横ぎった。なぜ そんな言葉が脳裡をかすめたのか知らない。でも僕はあの人の名がドミナであり ドミナと呼ばれねばならぬとわかったんだ。それから・・・
それから長い戦争の日が続いた。
(?)

月光のドミナ (新潮文庫 え 1-4)

月光のドミナ (新潮文庫 え 1-4)

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アウグスティヌスから

・・・(2005-11-03 - caguirofie051103の引用箇所よりのつづき)それゆえ その人の心の中に隠されているものを詳しく吟味し探すことをしないで その人の心の奥で起こっている事柄とは違ったことを一般に推測すること以上に 余りにも人間的なことがあるであろうか。人間に特有なそうした暗い領域に対して つまり 他者の内的な思いに対して――わたしたちは人間であるので疑惑を解くことができないとしても――わたしたちは わたしたちの判断を すなわち 明確な確固としたわたしたちの判断を控えるべきなのである。わたしたちは 主が来たりたまい 暗い闇の中に隠されているものを明るみに照らし出してくださり 心の中の思いを明るみに出してくださる時まで控えるべきであり――その時おのおのは神からおほめにあずかることであろうが(コリント人への第一の手紙 (聖書の使信 私訳・注釈・説教)4:5)――その時の来る前に先走ってわたしたちは決定を下すべきではないのである。それゆえ わたしたちが諸事に関して誤らず 悪徳を正しく退け徳を受け容れているなら たしかに人間として誤りがあるとしても 人間につきまとうことが常である誘惑は許されることなのである。
アウグスティヌス著作集 (第25巻) ヨハネによる福音書講解説教3第90説教(15章23節)二)

けれども わたしは 判断をしました。

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