caguirofie

哲学いろいろ

#39

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923

§47a(パスカル

最終章も 上の宿題について まだ はっきりさせえないかも知れない。パスカルについて ひとつ 言えることは かれは のちにヤンセン派の人びとと立ち場を同じくし かれらからは 自分の思想がアウグスティヌスのと同じであると 褒められもしたのであるが パスカルは 哲学から入った すなわち エピクテートスモンテーニュとを学ぶことをとおして アウグスティヌスのならその思想と同じものを抱くに到った ゆえにパスカルは アウグスティヌスに対しては 自分の独創性を主張することができた この点である。
だから パスカルは たとえばいまの国家観の問題でも アウグスティヌスと同じ考え方をしていても ほとんど そうは言わない。しかも 両者がもし 同じ思想を持つことがあったとした場合 それは 必ずしも ボルケナウの言うように《国家は悪の生活に集団的秩序をもたらすための道具である》という論点に 要約されないであろう。付随的な一帰結にそれがあったとしても それは 問題の中心には来ない。
問題の中心は ボルケナウが次のように批評するところの一観点のほうが 有効ではないか。

パスカルはその時代ではついに孤独の存在に終わった。
(ボルケナウ§8・〓 p.673)

しかもこれは うそである。

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