caguirofie

哲学いろいろ

        ――シンライカンケイ論――

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第三部 風の歌を聞いた      ――よしもとばななをめぐって――

2005-04-28 - caguirofieよりのつづきです。)

第五十六章 なぜ?何故?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?

(1995・1・16)

哀しい予感 (角川文庫)

哀しい予感 (角川文庫)

できるだけ小説そのものに就き読む。そのような批評を いま一度おこなっておこう。
主人公の弥生については 幼いときの悲しい出来事によって それまでの幼年時代の記憶を失っている。この記憶を取り戻すことをめぐって物語がすすめられ 作品は現実感をかたちづくり その筋も呼んで面白く 成功だと思われる。そして閉塞状態は 弥生が記憶を取り戻すとともに(取り戻しかけるとともに) やって来るのだが それは――弥生が両親をその幼い時に事故で亡くしているというのであるから その――肉親の喪失感・欠如感として 訪れるかと思われる。
このような主題にかんする限り これは 弥生の物語として成り立ったのだと考えられる。
ところが 弥生にとって おばと名のる実の姉――先の交通事故で生き残った二人の姉妹どうしであるが 今はおばと姪の関係にある――ゆきのにかんしては たとえばその同じ喪失感が 人生の全体にわたって時間停止の状態となって現われ 現われつづけているというのだが これは 納得しがたい。

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