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哲学いろいろ

文体―第十一章 深追い記

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2005-01-12 - caguirofie050112よりのつづきです。)

第十一章 深追い記

マリヤ・イヴァーノヴナの言葉のおかげで私は目があいて いろんなことが一度にわかってしまった。シヴァープリンがなぜ彼女を目のかたきにして しつっこく悪口ばかりを言っていたのかが はじめてわかった。おそらく彼は 私たちが互いに憎からず思っているのを見て 水をさそうとしたのだろう。私たちのけんかのきっかけになったあの言葉は 今まではただ粗野な無作法な冷笑とばかり思っていたのに それがたくらまれた中傷だとわかってみると ますます醜悪なものに思われるのだった。
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大尉の娘 (新潮文庫)

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このプーシキンの筆になるひとくだりは たしかに デーモン関係をあつかっているのです 読んでお分かりのように。主人公の《私(ピヨートル・アンドレーイチ・グリニョフ)》は 侮辱に対して 確かに怒るのである。(カラマゾフ家のアレクセイは 怒らなかったそうです。)かれピヨートルにとって まだ分からなかったこの三角関係が つまりはそのようなデーモン関係が むこうからやってきたのでした。そして もしわたしたちも悪口を言おうと思えば このシヴァープリンなるアレクセイは たしかに 《情念と意味》の病いをわずらっている。

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