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哲学いろいろ

哲学と科学

わたしたちは コトバを使い分けます。



 ふだん日常生活で使っているスサノヲ人間語と よそ行きのアマテラス人格語とです。

 アマテラスというのは 多少とも公共の・公的なという意味を込めて用いています。

 言いかえると スサノヲ語は あやまちうる人間のそのままのコトバです。
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日本社会の病いを突き抜けて未来社会へ――アース役はつらいよ!――

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ムイシキもエスもまたジガも要らないということ。


1. 《抑圧》?

この世の中においてわたしは 意識していず気づかなかったけれど 自分の気持ちや意志をも抑えてしまっていた。自分で自分を抑圧してしまっていた。のだ。

という事態に落ち入っていたなら それは 特に日本社会では クウキないし社会通念としてのジョウシキあるいはつまり世間の眼によって わが心も気持ちも萎縮し さらには自分からその積極的な自己表現というものを知らないうちに抑えてしまっていた。ととらえ返すことが大事ではないか。

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ヤスパース

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0 ヤスパースは 後期となると コメントしづらいですね。極みを突いていたと思ったら あとは理知的な世界へ足を踏み入れてゆくようなのですね。

1 ▲ 中山剛史:後期ヤスパース哲学における「包括者論」の倫理的・実践的意義 ―「存在意識の変革」との連関において―

2 (わたしがわたしであること:自己還帰 p.140 ) 
▲ 超在(☆ 要するに神)との連繋における実存の自己生成は,「実存的自由」の確信において,唯一無二の「実存」としての自己存在が己れを超えた不可知(☆ または 非知)のものから「贈られる(geschenkt werden)」ことを自覚することに呼応して生起する

3 ☆ われは ふと――《ふと》である――われに返り わたしという自己に到来し 《わたしはわたしである》という自己還帰を果たす。

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