caguirofie

哲学いろいろ


[Q:哲学や思想についての批判は 生け捕りにせねばならぬ。か?]

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10231765.html

1. 表現された文章やその論理を批判しても なかなか効かない
のでしょうか。

2. 文章の全体を受け留めて その全体をあたかも人格ないし存
在として捉えて その姿をこそ生け捕りにしないと 相手は(容易に
話をすり抜けて行く。か?

3. あるいはつまり いわゆる文体の問題なのでしょうか?

4. 文体にあたかも魂振りをあたえるかのごとく接して 相手は
その文体ごと あたかも踊り始めるようになる方向へ持って行く。
のか。

5. 批判とは 何ぞや?――自省なんでしょうけれどねぇ。




6. 《生け捕り》という捉え方を捨てずに考えるなら その哲学
的現実はどんな姿を伴なっているか。
7. 思想のみづみづしさや すこやかさが息づいているというた
めには わが心がすでに癒されやわらがしめられているということ
(つまり 世間と和解している また 自己自身と和解していると
いうこと)が 大事か。

8. 論理のととのえられた姿だけでは足りない。か。

9. そこで――おそらく昔むかしの人たちもそうしたように――
和解としては《魂鎮め》をおこなう。

10. これは文字通りたましひを《鎮める》のですが・つまり静
まり澄んだ心になるということですが そのためにはまづ《魂振り》
をおこないます。眠っているたましひを まづ振るい起こさねばな
らない場合がある。のか。

11. 哲学も 《生きること・よく生きること そして ともに
生きること》をその根幹とするなら 対話において この魂振りを
ふくまざるを得ない場合があるか?
 
12. 相手も――質疑応答をそっちのけにして――こちらに向か
ってののしり悪態をつくまでになって来たなら そしてそのとき 
そこまでふところ深く飛び込んで来たと もし見たとするなら こ
ちらも相手のふところ深くに入って行くことが 必要な場合がある
か?

13. そういう場合の対話のあり方・批判の仕方・そして人間と
して互いに互いをけっきょく活かし合うようにするそのあり方――
これを問いもとめるべきか。
 
14. 批判においていわゆる《化学反応》はなかなか起きません
ね。わたしや人間の思い上がりであるのか。哲学する場合 批判を
するときには われが触媒(カタリスト)になることだと思うので
すが。