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哲学いろいろ

《わが固有の時》とは 境のない密室である。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10185416.html


1. 《わが固有の時》とは 境のない密室である。

2. 《非思考の庭》とは 心の明けなる奥の院である。


3. 《わたし》は 閉じられていない。

4. しかも 社会相対的にながら――ほかの人との関係の世界にあって
しかも―― 独立している。ゆえに《密室》であり《奥の院》である。


5. この《時》・この《庭》によって 《わたしはわたしである》。

1=1. 
( 1 というのは 自由意志が一個であり 判断と選択がそのつど 1だ
ということ。社会関係の中におけるわたしの《独立》は この意志自由に
よる)。

6. この時・庭を去って 思考の緑野および感性の原野にあって わた
しは 《〈わたしはわたしである〉わたしがわたしする》。

〈1=1〉x1x1x・・・・=1

具体実際には:
〈1=1〉+μ / −ν → 〈1=1〉へと還帰する。
(クリスマスツリーのかざり( μ / ν )を取り去って・取り戻して 樅の
木本体に還る。ケノーシス)


7. 《内と外との境がない・心の明け》というのは 気持ちが能天気だ
(つまり 義無きを以って義とす)ということ。《密室・奥の院》という
のは 《ルーアハ・つまり かみの霊なるナゾ》だということである。


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