caguirofie

哲学いろいろ

神はみづからを揚棄する:外へ開くが 帝国覇権主義をしりぞけた。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10029227.html

1. かなり入り組んだ議論です。

2. イエスは ユダヤの内にとどまりつつ みづからの神を外に開いた。

3. イエスは言った。:
▲ (マタイ福音 15:24 ) わたしは、イスラエルの家の失われた羊以
外の者には、つかわされていない。
☆ しかも ヤハヱ―なる神がみづからを外に開き ふるい民族神である
ことを棄てて たかい普遍神へと揚げることを目指していた。
cf. エレミヤ書 31:31~ : http://bible.salterrae.net/kougo/html/jeremiah.html
=ヘブル書 8 章: http://bible.salterrae.net/kougo/html/hebrews.html


4. つまり:
▲ (承前) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
15:25 しかし、〔ユダヤからはよそ者なる〕女は近寄りイエスを拝して
言った、
  「主よ、わたしをお助けください」。
15:26 イエスは答えて言われた、
  「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。
15:27 すると女は言った、
  「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちる
  パンくずは、いただきます」。
15:28 そこでイエスは答えて言われた、
  「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりに
  なるように」。
http://bible.salterrae.net/kougo/html/matthew.html
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5. つまり 主人・子どもたち・そしてほかの小犬たちの位置づけ――
としてのユダヤ民族のためのヤハヱ―神という自己規定――が くづれた。
(くづれるという潜在可能性が 現われている。信仰の普遍性として示さ
れている)。

6. しかも その自己揚棄の過程は それまでの狭い自己の通って来た
道を守りつつ進むことをとおしてである。

7. だから イエスは 自分が神の子であり神であるという現人神説を
――メシア論を利用しつつ つまり大嘘を――となえ 高等法院のお偉方
から 神の冒涜だとして磔に遭った。

8. つまり あたらしい道は 元来た道を逸れないことをとおして開か
れる。





9. 親鸞は オシヘを守り切る道をあゆんで 義(つまりオシヘ)無き
を以って義とすという境地に出た。

10. 念仏称名などは すでに屁の河童だと見通していたが せいぜい
それを《非行非善》と規定する程度で折り合いをつけた。

11. すでに外に開いたのである。アミターバ・ブッダは そういう名
前の普遍神なのだと。




11. 日蓮は オシヘの奥底をたどり――法華経如来寿量品第十六の
文底に秘沈されたという独一法門を探り当て―― その《オシヘ》こそが
唯一絶対の神だと思い決めた。

12. ほかのものはすべて蔑む。外へ開くときには みづからの翼のも
とに来るがよいという王仏冥合なる帝国主義に立った。

13. 特殊絶対性の膨張としての八紘一宇は 哲学がしっかりと批判し
て行かねばならない。


14. もし南無妙法蓮華経帝国主義をゆるすならば 軍事力の拡大に
頼る国の動きも 覇権の道をひたすら進む一党独裁も もう批判すること
ができない。聞く耳を持たないという非人間性ゆえ。




☆ ご教授を垂れたまえかし。